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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学47--世界初の皇帝--
2000.12.30
 
世界遺産雑学47

--世界初の皇帝--

彼は5つの国を征服した。
そして、中国全土初めて統一したのである。
そのものこそ秦の始皇帝。
皇帝は永遠の命を望んだのである。

始皇帝陵と兵馬俑坑  中国

1974年。一人の農夫があるものを見つけた。
それは、自分の畑で井戸を掘っていたときのこと。
地中から顔のようなものが見つかったのである。
それこそ20世紀最大の発見。
兵馬俑の発見である。

実はかねてから伝説では西安にあるなだらかな丘が始皇帝の墓だと言われ続けていた。
しかし、その丘には何の遺物も残っていなかったのである。
そこに発見されたのがこの丘から1.5km離れた兵馬俑。
ここに伝説が正しい事と、丘が始皇帝の墓だと判明したのである。

この墓が建てられたのは紀元前3世紀。
それは春秋戦国時代。
中国全土では6カ国により争いが繰り広げられていた。
その国こそ
「秦」「魏」「楚」「燕」「斉」「趙」
である。
このなかでも、一番西に国を構えた秦が一番の力を持っており、前247年に秦王・政が選ばれ
たのである。
政は残りの5カ国をすべて滅ぼして中国統一を成し遂げた。
そして、政は自らを秦の始皇帝名乗ったのである。

しかし、この始皇帝が成し遂げられたかったことがあった。
それこそ、「不老不死」
いかに皇帝でも死には勝てなかったのである。
こうして、始皇帝の墓が建てられた。
それは1日に70万人もの労働力を必要とした巨大な墓。
始皇帝が死後の世界でも皇帝でいられるように、巨大宮殿、大量の兵士などが建設されたの
である。

前漢・司馬遷が書き残した「史記」には伝説がのこる。
銅版を敷いた墓室があり、盗掘者と撃退する自動の弓発射装置が設置され、天井には星座、
床には世界地図が描かれた。
そして、真ん中には宮殿が建てられ、その周りに水銀の川が流れていたのである。
もちろん、この秘密を守るため建設者はすべて生き埋めにされたと。
現在、この史記を実証する結果が残されている。
それは緩やかな丘から検出された水銀濃度。
それは通常の空間からはありえないほどの水銀が確認されたのである。
しかし、いまだこの場所は見つかっていない。
推測の域でしかないのである。

始皇帝陵と兵馬俑
実は見つかっている部分は実に数%といわれている。
すべてが発掘し終わるのは今後数百年待たなければならない。
いまだにどれほどの規模であったかは分かっていないのである。
こうして、世界の不思議の8番目に数えられているのである。
始皇帝の権力がすべて分かる日はまだ来ない。。


始皇帝陵と兵馬俑坑は優れた造像技術と芸術性の高さを伝え、巨大墳墓のさきがけとなった

貴重な遺構は1987年世界遺産に登録された。
それは、まだ4つの兵馬俑坑のみである。




行った事ないのでどれだけ巨大化は推測の域です。
しかし、まだごく一部しか発掘されていないのも事実。
生きている間には無理ですが、この丘を眺め皇帝の見たものを感じて見たいです。