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 【中国の世界遺産

世界遺産「敦煌の莫高窟」
2008.05.25
 
2008年5月25日    295日目


シルクロードの至宝

何もない大地に突然現れる石窟

ここで仏教美術が開花した



本日は目覚ましで。

といっても、早く出るつもりはなく。

だた何となく起きたかっただけ。

しかも目覚まし鳴らしてから1時間も何もしなかった代。

寝てればよかったのにさ。

ようやく、ベットから起き朝食をとって。

宿を後にしました。

最初に向かったのは列車の駅。

でもそのバスに乗ろうとした時に、運転手にお前は何をしに行くんだと聞かれて。

チケットを取りに行くのだと言ったら、今はまだ空いていないと言われてしまった。

このため、列車の駅に行くのはあきらめてそのまま世界遺産へ向かうことにしました。

敦煌の中心地からバスに揺られること1時間。

その間、何もない乾燥した大地を横切り。

生命の生息さえ感じないただ荒涼とした場所をひたすら進んでいき。

ようやく到着した場所こそ世界遺産「敦煌の莫高窟」です。

時は紀元4世紀。

中国五胡十六国時代の前秦の時代に一人の僧侶がこの敦煌を訪れました。

彼はその時砂漠の中に突然巨大な岩の崖を発見したのです。

仏教徒であった彼はここを修行の場所と定め、祈りの場所を作るためにここに穴を掘り石窟を建て始めたのです。

こうしてこの場所はその後1000年にもわたり石窟が彫られ仏教の修行の場所となりました。

この間に石窟は豪華絢爛な彩色が施され、当時の成功傑作と呼ばれるぐらいの技術が投入されたのです。

それもそのはず、この時代の仏教の修行とは絵画や仏像、経典の写本などをすることにより悟りに近づこうとする考えがあり。

自ら競って技術を磨いたのです。

またこの敦煌の莫高窟が1000年以上も繁栄した理由が地理的条件にありました。

それは外界から離れた場所にあるということと、水と食料が簡単に入手できるという立地条件です。

もちろん敦煌はシルクロードの中にあり、周りは砂漠で外界から離れていましたし、敦煌ではオアシスがあり交易地として食糧も水も手に入ったからです。

こうして1000年にもわたって彫り続けられた石窟に終わりを告げる時がきました。

中国の領土縮小です。

明の時代、中国の領土は万里の長城によって境界線をはられていました。

このとき明は敦煌までを領土とはせず、その手前嘉峪関までを領土としたために仏教とは中国へと移住したのです。

こうして歴史の表舞台からさってしまった莫高窟ですが、1900年に再び世界の表舞台へ立つこととなりました。

それは莫高窟を修行の場としていた中国の僧、王圓籙が壁にあったヒビを発見したことに始まります。

王圓籙はその不自然なヒビに興味を持ち、そこを掘り返してみたのです。

すると中から新たな石窟と仏像、そして数万点に及ぶ仏教の経典を発見したのでした。

すぐさまその話が世界に広がり、世界の大国は王圓籙に古文書を売ってほしいと言ったのです。

それも法外的な安い値段で。

王圓籙は大国の願いを断れず、大量の文書が世界へと散らばる結果となってしまいました。

その後大量の文書を世界へ売ってしまった自責の念から王圓籙は莫高窟の崩壊を少しでも食い止めるためにポプラの木を植え続けたのであった。

こうして敦煌に残る莫高窟は中国の1000年にもわたる仏教の移り変わりが残る場所として、仏教美術の最高傑作が残るとして、中国の心のよりどころとして世界遺産に登録されました。

到着してからはさすがにびっくりした。

だって、あたり一面砂漠のような場所で断崖絶壁のような岩なんてないんですよ。

それが急に見た目砂漠のような岩山が出てきたと思ったら垂直に岩山が切れており。

そこには無数の穴があいているのです。 

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よくこんな場所に石窟を掘ろうと思ったな。

ホントに驚くような場所に建っているのでぜひ見に来てください。

さて、さっそくチケットを買い。。。

すごい高いんですが。。

入場料だけで3000円とられるってどういう料金設定だよ。。。

遺跡の入場料だと中国で一番高いのではないでしょうか。

ちなみに一番高いのは四川省の自然九寨溝の3300円ですがね。

中国の入場料はほんとに法外すぎる。

しかも今回の莫高窟は写真不可ときたもんだ。。

確かに壁画を守るためにはフラッシュは厳禁ですが。

それにしたって外側から写真撮るぐらいだったらいいと思うんだけどね。

というわけで最初に宣告しておきますが、今回の写真は遠くからの写真になります。

まあ、料金高くても世界遺産だから入るけどさ。

ということでチケットを買って少し待っていました。

莫高窟は壁画を保護するために説明員とともに入らないといけないことになっているので。

私のような外国人は英語の説明員になるのかなと思っていたら。

なんと日本語が話せる説明員がやってきました。

日本語のガイド付きで莫高窟の説明を聞きながら見れるのは3000円なら普通でしょうかね。

しかも日本人は私一人だけらしく説明員とマンツーマンで莫高窟に入ることに。 

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そして最初に連れられたのは莫高窟悲劇の舞台第16窟。

王圓籙が数多くの古文書を見つけた場所です。

石窟自体は簡素で、中心に仏像が数体あるだけ。

しかし入口のところの壁画の所に巨大な入口があけられており小さな個室が顔をのぞかせていました。

この場所こそ数万点の文書が残っていた場所。

今でもなぜここに古文書が残されていたのかは謎となっていますが、間違いなく世界の仏教の歴史を明らかにした場所。

ここから仏教の世界の真髄が明らかになって行ったのだと思うと感動します。

それと同時に中国がまだ国家として安定していない時に発見され世界各国へと文書が散らばって行ったことを悲しく思いました。

特に各国でその古文書が残っていればいいのですが、ドイツ人が持ち帰った古文書や壁画は第1次2次世界大戦のときに空襲にあいすべては消滅してしまっているのです。

貴重な資料が失われてしまい、再び中国に戻ることはなくなってしまったのです。

すでに終わってしまったことを嘆くのはつまらないことですが、残りの文章が中国の莫高窟に戻ることを祈らずにはいられませんね。

そしてその後は各年代の石窟を見てきました。 

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北魏、唐、隋、前秦、西夏、宋などなど

それぞれの石窟を見比べてみると各時代の仏教の特徴が分かってくるのが面白い。

たとえば唐の時代の仏像はふくよかな体系をしていますが、五胡十六国時代の遺跡はやせて見えるのです。

これは唐は平和であったために体がふくよかに、逆に戦国時代は人々は体が細く。

各時代の特徴を踏襲しているのです。

また色彩にかんしてもいろんな色が使われています。

特に目を引いたのが深い青。

これはシルクロードで取れる宝石ラピスラズリを混ぜて塗っているのです。

この青はシルクロードに繁栄した王国でなければ使用できない色であり。

ラピスラズリが取れない場所では一切この色はないのです。

敦煌がシルクロードの交易で儲かった証拠でもあるのです。

それから壁画に描かれている人物も様々。

中国人ぽい人もいれば、明らかにインド人の顔を描いているのもあります。

ここでは様々な人種が生きており、それらが共存していた証。

みれば見るほどシルクロードの美術の素晴らしさがわかってきます。

それぞれの石窟もいろんな印象を受ける場所で。

たとえば中に入った瞬間に仏陀がほほ笑んで、周りも和やかな顔をして心が落ち着く場所もあれば。

仏陀の目が鋭く、周囲の壁画に描かれた人々もこちらを向いてひれ伏さなければいけないような感じになる場所もあり。

仏教の世界を壁画で豪華絢爛に描いて、権力を見せつけられているような場所もあります。

莫高窟はまさしく仏教美術の博物館といった場所なのです。

そして石窟の中で最後に行った場所こそ第96窟 

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莫高窟最大で世界でも3番目に大きい石仏です。

あまりにも高いために、石窟というよりは岩に削られた石仏の周りに建物が建っています。

その建物は9層にもなり、莫高窟の象徴となっているほど。

さっそく建物に入ってみるとそこには巨大な仏像が。

正直に言いますと奈良の大仏よりも高い。

みているだけで首が痛くなってきます。

あまりにも壮大で、巨大な仏陀は見ているものの心を見透かすようです。

これ作るにどれだけの歳月が必要だったのだろうか。

しかもここは辺境の地。

それだけの労働力があったとは思えません。

シルクロード

何もない大地が続くだけかと思っていましたが、壮大な遺跡が数多いということが実感させられました。

絹の道は交易によって多大な繁栄を見せたのですね。

やはり莫高窟は一度は見に来てはいかがでしょうか。

さて、ようやく説明員との莫高窟観光は終了。

ここまででは写真は一枚もとってないです。

このため、柵の中には入れませんが外から写真を撮りに行きました。

特に96窟の周辺や木が少なくきれいに取ることができましたよ。 

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また外側に描かれている壁画なども取ることができました。 

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外側の壁画は太陽に当たるために色あせて見えるのが残念。

これが完成当時だったらどれだけのきれいな色だったのか。

想像するだけでこの莫高窟の素晴らしさが見えてくるようでした。

また観光でいけなかった遠い石窟も遠くからですが見ることが出来。 

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端の方はいまだに修復されておらず、無造作に石窟が彫られた跡がありました。

1000年にもわたって崖に彫られた石窟はほんとに広大にわたって彫られており、周辺の環境を見てもびっくりするような場所にあったのでほんと来てよかった。

さて、莫高窟観光が終ってからすぐに列車の駅へ。

次に向かう場所のチケットを取りに行きました。

が、が、どんだけ探してもチケットが手に入らない。

夜行でしかも座れるかわからない自由席という選択肢しかなさそう。

次回はつらい移動となりそうかも。

と思って、あれこれいろんな方法を考えていたのですが何とバスでウルムチ行きというバスがあり。

寝台バスでしかも安かった。

さっそくチケットを購入してしまいました。

これでウルムチにはちゃんとつけそうなのでよかったです。

さてすべてが終わったので夕食を食べた後宿でゆったりと

0時を超えた段階でもう寝ようかなと思った時に、ドミトリーに新たな人が。

すると、、、あれ、成都で出会ったことある人だった。

このためいろいろ会話をしてしまいました。

実はこの時ちょっと洗脳させられて。

中央アジアに行こうかと考えている次第なんですよね。

ウズベキスタンとか行きたいんですけど

そうするとパキスタンに行きづらいが。。

さてどうしようか。

まあウルムチで考えるとしますかね。

さて明日は夜行で移動なので暇な時間が多いです。



莫高窟アクセス
西安からは敦煌行きの列車に乗り敦煌下車
敦煌駅からは市区に向かうバスが30分に一本出ている。
敦煌市区からはバスターミナルから北に向かう通りをまっすぐ行き最初の交差点付近に莫高窟行きにバスが止まっている





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