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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学49--辺境の地にそびえる宮殿--
2000.12.30
 
世界遺産雑学49

--辺境の地にそびえる宮殿--

標高3650m
富士山と同じ標高に建つ宮殿。
あまりにも辺境の地に立つその建物は壮大にして異質の雰囲気を漂わせる。
そこはチベット仏教総本山。
そして、他民族の侵略を受けた場所。

ラサのポタラ宮歴史地区群  中国

どうしてこんな場所に宮殿が建ったのだろうか?
ここは、チベット。
標高が3000m~4000mの大地や山が広がるところ。
現在も町並みは発展していない。
ただただのどかな風景が広がるばかり。
このような場所に建っているのがポタラ宮。
そこは小高い山の山頂に建てられた宮殿。
それは、白亜と真紅に輝く。

この辺境の地に宮殿が建てられたのはチベット仏教の都であったため。
チベット仏教とは名の通りチベットに根付いた仏教の事。
そして、チベット仏教には最高指導者が存在する。
それこそ、「ダライ・ラマ」
これは観音菩薩の化身といいつたえられている。
そして、ダライ・ラマ5世のときに宮殿の建設が始まったのである。。

そもそもチベットとは一つの国であった。
1642年にモンゴル帝国の力を借りて統一したのがダライ・ラマ5世。
ダライ・ラマ5世は仏陀の歴代の転生であるとし、観音菩薩によって国教化されている国とし

て、自分自身を神格化していくのである。
こうして、権力の粋をあつめたのがポタラ宮である。
ここは2つの宮殿が存在する。
それは外見からもすぐに分かるように色分けされている場所。
「白宮」「紅宮」
白宮とは、外見から見ても白く塗られている場所。
ダライ・ラマが住んだ場所で、政治・宗教行事・政務を取り持った場所だ。
そして、もっとも重要な場所こそ紅宮。
外見から見ても赤く染められている場所。
そこは、歴代のダライ・ラマの霊廟。
5,7,8,9,10,11,12,13代のダライ・ラマが眠っている。
金銀などの装飾ももちろんだが、ラピスラズリ・ダイヤモンド・琥珀・ルビーなどありとあ

らゆる宝飾品で埋め尽くされているのである。
それは、ダライ・ラマがいかにチベット仏教において神の存在だったかを表しているのである。



じつは、最高指導者ダライ・ラマにはおきてがあった。
それは自らが仏陀の転生だとしていること。
このため、ダライ・ラマが亡くなった際に仏陀は転生されるとしているため、チベット中の

生まれた子供をしらべ転生されたと認定されたものに権威が回るのである。
現在ではダライ・ラマ14世がチベット仏教の最高指導者である。


しかしこのチベットで歴史の動乱が待っていた。
それは中国共産党の侵攻である。
今の中華人民共和国そのもの。
最初、政府はチベットの自治権を認めていた。
このため、ダライ・ラマも賛同していたのである。
しかし、中国は完全なる支配を目指した。
そして、1959年武力的制圧が始まった。
その死者数87000人。
無差別の殺戮が繰り広げられたのである。
このため、ダライ・ラマはインドに亡命した。
自分の命を守るために。
さらに中国の非道な行いが起こる。
それはチベット仏教の2番目の権力者
「バンチェン・ラマ」の拉致
このバンチェン・ラマも亡くなった後に子供から指名される。
そして、動乱の中、バンチェン・ラマが亡くなった。
このため、チベットの子供から一人の子供が選ばれたのである。
が、中国政府はこの子供を両親ともども拉致した。
それは1995年のできごと。
そして今でもとらわれの身となっているのである。
子供の人権を無視した異常な出来事。
また、現在でもダライ・ラマは故郷チベットには戻れていない。

こうして、ダライ・ラマは中国からチベットを開放するように求めている。
それも血を流さずに。
武力を使わずに。
このダライ・ラマの行動が世界に認められる日が来た。
それこそ世界的な功績者の賞、ノーベル賞。
1989年ダライ・ラマはノーベル平和賞を受賞したのである。


この、ラサにあるポタラ宮などの遺跡群はチベットの政治・文化の象徴であり、チベット仏
教の総本山である事から1994年に世界遺産に登録された。
そして2000年・2001年と拡大登録されたのである。




またまた、長くなってしまいました。
しかも、世界遺産の話ではなく、チベット仏教の話に・・。
でも、知っておかなければならないこの事実。
世界遺産を学ぶには大きな歴史の流れが必要です。
それは、良い歴史であろうと辛い歴史であろうと。

いま、靖国参拝などで話題になっています。
その中で中国は日本を侵略国家といっていますが、自分たちもやっているのです。
中国の方は知っているのでしょうか??
疑問に思うところです。。

将来このチベットは中国から独立するかも知れません。
しかも血を流さずに。
そうなる事を願うのみです。。