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 【パキスタンの世界遺産

世界遺産「タキシラの都市遺跡」
2008.06.18
 
2008年6月18日    319日目
 
 
丘の周辺に点在する仏教寺院
 
ほとんどが礎石しか残らない
 
ここはガンダーラの源


 
さてさて、本日は目覚ましで。
 
ドミトリーに一人も泊まっていなかったので目覚まし鳴らしても問題ない。
 
まあ、人がいたところで目覚まし鳴らすんですけど。
 
目覚めてからはまずは朝食。
 
こんな朝早くから店なんてやっていないので、昨日買っておいたポテトチップスで代用。
 
朝食が済んでからはすぐに出発いたしました。
 
まずは昨日と同様にラワール・ピンディのバススタンドへ移動。
 
、、、やはりそのバスが一向に来る気配がない。
 
こうなったらバスを乗り継いで行くしかないのか。
 
違う行き先のバスなら頻繁に来ているのですぐに乗ることができました。
 
そして、バススタンド方面に行く大きな通りで下車。
 
すぐさま乗り換えてようやく目的のバススタンドに到着することができました。
 
さて、目的地に向かう前にまずはここでやっておかなければいけないことが。
 
明日のためのチケットの予約です。
 
ようやくこの暑い世界からおさらばするために北方面に向かうキルギット行きのバスを予約する必要があったのです。
 
前回予約しなかったためにバスに乗れなかったんだよね。
 
この教訓を生かして、前日予約です。
 
予約センターに行ってみると、まだ朝早かったためかあいていなかった。。
 
けど、話を聞くとあと10分で開くとのことで待っていましたよ。
 
ようやく職員が来てさっそくチケット予約。
 
チケットをゲットすることができました。
 
、、、、すでに座席番号30番近いのが気になりますが。
 
皆そんなに早く予約するのですね。
 
パキスタンノーザンエリアに向かわれる方はご注意ください。
 
さてチケットが手に入ったのですぐに本日の目的地タキシラ行きのバスを探しました。
 
まあ、すぐに見つかったわけですが。
 
予想通りというか予想を裏切ってほしかったというか。
 
バスに乗っても人が集まるまですぐに出発せず。
 
でも今回は目的地が近いのか意外に早く人が集まりました。
 
それでも30分は待っているんだけどね。
 
ようやく出発したので1時間ぐらいは到着しないだろうなと思い、眠りにつこうと。
 
、、、、何と30分で到着したよ。
 
なんという近さ。
 
待っている時間の方が長かったんじゃないかな。
 
で、降ろされた場所がこれまた中心地から遠いんだよね。
 
このため乗合三輪タクシーに乗り込んで駅まで行ってもらうことにしました。
 
駅まで到着してから少し悩んだ。
 
実は今回の世界遺産ってすごく広い場所に点在しているんですよね。
 
歩いてもいいのですが、一番遠いところとなると7kmぐらい離れているのです。
 
あと、この灼熱の暑さ。
 
片道だけタクシーを使おうか悩んでいました。
 
200ルピー(約300円)以内だったらタクシーで行こうと。
 
というわけでさっそく交渉。
 
すると150ルピーで行ってくれるとのことで一番遠い遺跡までタクシーで行くことに。
 
もちろんあっという間に到着。
 
階段を上り世界遺産「タキシラの都市遺跡」と対面しました。
 
この遺跡は各時代の様々な都市遺跡が残る場所。
 
最初にこの地に都市が作られたのは紀元前6世紀のこと。
 
この地はアケメネス朝ペルシアによって開発されたのです。
 
そして時代はアレクサンドリアの時代へ。
 
アレクサンダー大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼしついにはタキシラまでやってきたのです。
 
その時の王はこれを歓迎し、ともに戦ったのす。
 
さらに時代は変わり続いてマウリヤ朝が支配しました。
 
マウリヤ朝のアショーカ王は敬虔な仏教とであったためにタキシラに仏教寺院という新たな遺跡が誕生。
 
これこそガンダーラ最古の遺跡となったのです。
 
ガンダーラとは西洋の文化と東洋の文化が混ざりそれが仏教美術として繁栄した文化。
 
ギリシャのアレキサンダー大王とインドのアショーカ王によりこの地に西洋と東洋の文化が交わるという奇跡的な文化となったのです。
 
しかしこんな繁栄も長くは続きませんでした。
 
5世紀にタキシラにフン族が訪れました。
 
彼らはこの地に侵攻し、支配。
 
以降タキシラは繁栄することなく歴史の1ページから消えたのです。
 
しかし、現在ガンダーラ発祥の地であり、東西文化の交易地であったことを示す遺跡が残ることから世界遺産に登録されました。
 
私が最初に向かったのはジョーリヤーン。
 
2世紀のクシャーナ朝の時に建てられた寺院です。
 
ここには漆喰で装飾されたさまざまな像や装飾が残り、タキシラに残る遺跡でも最も保存されている遺跡です。
 
さっそく遺跡に入り観光です。
 
、、、なんだここ。

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まずは僧侶が寝泊まりした僧房に行ったのですが、壁の建て方があまりにもきれいなことにびっくり。
 
ただ石をくみ上げているだけなのに、これほど滑らかにしているところが驚き。
 
タフティ・バーイと同じ建築様式ですが、こちらの方が少し大きめの石を使っており、さらに滑らかにするのが難しそうなのに。
 
それを器用に積み上げている技術には感服します。
 
ガンダーラ美術とはよく聞いたり見ていたのですが、ガンダーラ建築がこれほどすごいとは知りませんでした。
 
続いて向かったのはメインストゥーパ。
 
残念ながらメインストゥーパは完全に崩壊していますが、その周りには様々な仏教の文化を装飾が漆喰でなされているのです。
 
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2000年前の装飾が現在も失われることなく残っていることに驚き。
 
仏像が拝んでいる姿を拝見したり、小さな塔がたくさんありその周囲に小さな仏像が装飾されているのが印象的。
 
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漆喰は残念なことに真っ白ではなくクリーム色のようになっており、長い年月そこに存在しているのを感じさせてくれます。
 
これが世界でも最初に仏像が作られた場所。
 
もともと仏教は偶像崇拝を禁止していましたが、何があったかは知りませんがこのガンダーラで仏像が作られそれが仏教全体へと広がっていったのです。
 
ガンダーラを感じると何かしら日本の原点を見ているような気がしてなりません。
 
でも、写真不可といわれ、撮るのを断念。
 
そのまま次の遺跡に行こうとしていると、係員がお金を要求してきて。
 
あ、お金を払えば写真撮っていいという仕組みですか。
 
でもお金なんてやらないよって言ったら、外国の何か珍しいお金でもいいんだというので。
 
ちょうどいらないスリランカルピーがあったのでそれをあげると。
 
かなり喜んでくれて、写真を撮っていいことになりました。
 
なんだその仕組みは。。
 
さて続いてはピプランという遺跡に移動。

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こちらは規模が小さい仏教寺院で作られた年代も東と西で違うという珍しい遺跡。
 
正直年代なんて見てもさっぱりわかりませんけど。
 
ただ小さい分、そこに生活していた人たちが見えてきそう。
 
小さな僧房がたくさんあり、中央には小さな池。
 
中心にはストゥーパがあり皆それに向かった拝んだのでしょう。
 
まあ、小さいのですぐに観光は終了。
 
続いて向かったのはモーラ・モラドゥ。
 
ほとんどの遺跡が2kmぐらい離れているのですべては歩きで。
 
もうほんとに炎天下の太陽の中歩いているから大変です。
 
さてようやく到着してさっそく観光。
 
まず迎えてくれたのは巨大なストゥーパ。

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ただし頂上部分がほとんどありませんでしたけど。
 
やはり2000年もの時がたつと崩れてしまうものですね。
 
ただし、こちらの僧院の方がすごかった。
 
タキシラの中でも特に巨大な僧院で中心には巨大な池の跡が。
 
タキシラの仏教寺院に共通することは僧院には必ず池があること。
 
いったい何のために池を作ったのか。
 
涼しさのためでしょうかね。
 
でもこの時代のことだから、これにより蚊がたくさん発生してしまうのでは。
 
宗教的儀式をするためなのか。
 
疑問は絶えません。
 
それにしてもここの池は巨大で、その周りにある僧房も数が多かった。
 
きっとここではたくさんの人が修行に明け暮れていたのでしょうか。
 
池の端には小さなストゥーパが完全な形で残されており。

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今まで見たストゥーパとは形が違っていた。
 
塔の上には円盤状のものがたくさん配置されており、それはまるで日本の五重の塔を想像させるかのよう。
 
もしかしたらこれが日本の塔建築の原点なのかも。
 
そう思うと歴史の素晴らしさにただ感動するだけです。
 
さてさらに歩いて次にシルスフに向かいました。
 
ここは都市遺跡の残りで都市ではなく城壁の遺構。
 
ほとんど発掘されてないために南東部分の一角だけの城壁が残されています。
 
でもこれみた瞬間に目を疑った。
 
城壁が丸いということに。

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なぜこのような形にするのか。
 
これでは簡単に人が登ってしまうのでは。
 
と思い自ら試してみましたが、、登れませんしてた。
 
円形になっているとつるつる滑って登れません。
 
でもこれだけ低いと弓矢の被害にあいそうですが。
 
中央アジアの文化を用いているとのことですが、謎の多い城壁でした。
 
さてタキシラにはまだまだ遺跡があるのでどんどん行きます。
 
続いてはジャンディヤールへ。
 
ここは見ていてなかなか面白い遺跡です。

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どことなくギリシャ建築に似ています。
 
正面にある塔がギリシャの様式ですからね。
 
きっとこれで屋根を支えていたのでしょう。
 
それにしてもこれはただの小さな神殿という印象。
 
いったい何の目的で作られたのかさっぱりです。
 
あと、パキスタンで西洋の建築を見るのは不思議な感じですね。
 
さあ、暑いのでどんどん見ていきましょう。
 
続いては2世紀に造られた都市シルカップ。
 
ここはギリシア人によって作られたまさしく西洋の都市。
 
現在は礎石部分しか残っていないのですが、ストゥーパの土台には様々な装飾がなされています。

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特に面白いのがギリシャ型の土台にインド文化の装飾がなされていること。
 
まさしく文化の融合があったことを示す遺跡なのです。
 
それにしてもここの都市遺構は巨大です。
 
多分タキシラ一巨大かも。
 
あたり一面には住居や商店などに使われていた建物の礎石が残り。
 
一直線に進む通りの周りに残されています。
 
仏教寺院の跡もあり、ここにたくさんの人が住んでいたことを示していますね。
 
いったいどのような生活を送っていたのか。
 
想像してみるとなかなか楽しいものです。
 
が、ここでちょっと体力が。。
 
木陰を見つけて休憩です。
 
これほど暑いとほんとまいりますよ。
 
でもあともう少しなのですぐに移動。
 
続いてはダルマラージカーへ。
 
これまた遠くて歩くのがしんどかった。。
 
暑いのなんのって。。
 
でようやく到着してびっくり。
 
なんだこの巨大ストゥーパは。

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頂上部分は完全に崩壊していますが、もし残っていたらアジアでも有数の巨大な建物だったのでは。
 
基礎の部分だけでもすごすぎる。
 
現にここはマウリヤ朝アショーカ王時代に仏陀の遺骨をおさめた8つのストゥーパのうちの一つに選ばれた場所。
 
このため周りには巨大な僧院やたくさんのストゥーパが存在しています。
 
これは正直びっくりしました。
 
インドでもストゥーパをたくさん見てきましたが、これほど巨大なものはなかった。
 
建設当初はここに仏教の宇宙観を示す7つの傘が設置されていたといいます。
 
これほど巨大なストゥーパに7つの傘が?
 
にわかには信じられません。
 
だからこそここが仏陀の遺骨を納める場所となったのでしょうが。
 
ガンダーラにはそれだけの技術があったという証明です。
 
パキスタンにこれだけの文明があったことに驚かされました。
 
世界は広い。
 
歴史は深い。
 
これだけのものが作れる文明があったなんてこの地を訪れなければわからなかったでしょうね。

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いやはや、ここはぜひ来てみることをお勧めします。
 
で、ダルマラージカーの観光が終了して。
 
暑いよ。。
 
あまりにも暑いので途中ホテルのレストランで冷えたジュースを買い。
 
ゆったり飲んでいると。
 
なんと宿のオーナーが日本語をしゃべるではないですか。
 
ここ確か政府系のホテルだったよね。
 
顔もかなり若く見えるのでかなりできる人と思います。
 
もちろんいろいろ話していました。
 
あと、本日の帰るもっとも簡単な方法を聞きました。
 
私が通ろうとしたルートと違う方法だったのですごくためになりました。
 
さて休憩が終わり、最後の観光へ。
 
向かったのはビル・マウンドです。
 
タキシラ最古の都市遺跡で、紀元前6世紀に建てられたとされています。

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こここそアレキサンダー大王が訪れたとされる場所。
 
ギリシャというヨーロッパからこんなパキスタンまで訪れていたなんて。
 
それも2000年前のことで鉄道や飛行機なんてものは一切なかったのでしょう。
 
それを聞くだけでも人類のすごさがわかってきます。
 
私は機械を使って旅をしていますからね。
 
馬だけでこれほどの距離を侵略のためだけに。
 
私が権力を握ってもきっとこれほど遠くに来ようとは思わなかったでしょう。
 
このビル・マウンドはある一部しか発掘されていません。
 
しかも街がばらばらに配置されています。
 
それもそのはず、ビル・マウンドとは混在した丘という意味らしく。
 
無計画な町並みからそう呼ばれているのです。
 
広い広場にぽつんと残るビル・マウンド
 
歴史の長さを実感できますね。
 
さて、これにて観光終了。
 
さっそく先ほど教えてもらった方法で帰ることに。
 
ローカルのバスに乗り、大通りへ向かってもらい。
 
大通りからはラワール・ピンディ行きのバスに乗ることができました。
 
やはり灼熱の中の観光でしたから、つかれていてすぐに寝てしまい。
 
気がついた時には到着間際でした。
 
もちろん寝ていても、常に両手は荷物とカメラを触っており。
 
盗まれないようにしております。
 
ラワール・ピンディに降り立ってからはすぐにイスラマバード行きのバスに乗り換えて。
 
やっとのことで宿に戻ってまいりました。
 
宿に戻ってきたら、、やっぱり停電。
 
このため夕食を食べに行きました。
 
夕食後はシャワー。
 
水シャワーですがこれほど気持ちいいものはありません。
 
さて夜はずっと写真の整理と日記を。
 
が、停電が多いので全然できないし、暑いのでやる気にまったくなれないけど。
 
とうとう明日涼しい場所へ移動できるので、日記を完成できますね。
 
あとはゆったりと体を休めるとするか。
 
まあ、酒が飲めないのですぐに中国行くとは思いますが。
 
ではでは、また明日。
 
 
 
タキシラアクセス
ラワール・ピンディのジェネラル・バススタンドからタキシラ行きのバスに乗る
到着するのはタキシラのバイパスのために降りた場所から進行方向を向いて十字路を右側に曲がる道にたくさんの乗合リクシャがあるのでタキシラの駅まで行くこと。
タキシラの駅からはタキシラ博物館まで徒歩で歩く。人に聞くこと
タキシラ博物館の前に巨大な地図が載っているのでそれを参照。
あまりにも広い場所に点在しているためにタクシーを使用することがベスト。
最も効率的に回れるのはジョーリヤーンまでタクシーで行きピプラン→モーラ・モラドゥ→シルスフ→ジャンディヤール→シルカップ→ダルマラージカー→ビル・マウンドと徒歩で歩くのがベスト。合計で10kmぐらいは歩くことになるが。
メインの道から遺跡までは看板が出ているのでわかりやすい。
なお、ダルマラージカーの看板だけは違う方向を向いているので人に聞くことをお勧めする。





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