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 【ウズベキスタンの世界遺産

世界遺産「ヒヴァのイチャ・カラ」
2008.08.03
 
2008年8月3日    365日目


城壁の中にそびえたつ塔

それはエメラルドグリーンの輝きを秘める

砂漠の中にある要塞都市



朝早くは起きれなかった。

まあ、本日の観光はかなり小さい街ですからすぐに見終わりますから。

のんびり起床ですよ。

さてまずは宿で朝食。

現在の宿は朝食付きという豪勢な宿なので、とても便利。

いつもだったら何か買い出しをしていたところですが。

暖かい食事が出てくるのはうれしいものです。

朝食後は一度部屋に戻り。

観光の準備。

カメラを持って、日焼け止めを塗って。

さて観光開始です。

目の前から世界遺産「ヒヴァのイチャン・カラ」。

ここはかつてホレズム王国の首都だった場所。

ホレズム王国とは太陽の王国を意味しており、砂漠の中に生きる遊牧民族が建てた王国。

ホレズム地帯に建てられた王国なのです。

しかしこのヒヴァはもともと帝国の中の一都市でしかありませんでした。

ホレズム王国はもともとトルクメニスタンにあるクフナ・ウルゲンチ(世界遺産)を首都として10世紀から14世紀まで君臨し続けたのです。

しかし、このクフナ・ウルゲンチに大変な事態がやってきました。

それは川の流れが変わったこと。

ホレズム王国はほとんどが砂漠であり、その中に流れる川で水を補っていました。

そのアムダリヤ川が突如として流れを違う場所へと変えたのです。

これに伴いホレズム王国はクフナ・ウルゲンチをあきらめヒヴァへと遷都を決定。

このヒヴァに権力が集められたのです。

ちなみにイチャン・カラというのは内城という意味。

ヒヴァには2重の城壁が建てられ、その内城部分を表す言葉がイチャン・カラなのです。

その後ホレズム王国がチンギス・ハーンに滅ぼされたあと、荒廃すると思われましたがこの地を統治する者に愛され、増改築を繰り返していきました。

こうして現在でもヒヴァのイチャン・カラには昔ながらの街並みが残り、当時のイスラム建築を現代まで残しているために世界遺産に登録されたのです。

そして今では「中央アジアの真珠」とまで称えられたのです

さて、観光する前に、、、ってもう中にいるか。。

でも入場券とか持っていなかったので西口でチケットを買い。

街巡りに行きました。

このイチャン・カラは周囲約2kmしかないくかなり小さな城壁。

一周するのに30分もかからないのです。

その中にたくさんの建物が存在するので見どころが満載すぎてどこから見ていいかがわからない。

ともかく最初に街の中心通りにそびえる2つのミナレットへ向かいました。

まず目に飛び込んできたのはエメラルドグリーン色に輝く上の無い塔。 

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カタル・ミナルです。

目の前にはムハンマド・マミン・ハーン・メドレセという神学校があり、この二つを同時に見ることができます。

カタル・ミナルは当初ヒヴァで一番美しく一番巨大な塔になる予定でした。

しかし建設を進めた王が戦争により死去。

工事は途中で中断されたのです。

それでも基壇の部分は残されておりその直径もヒヴァで一番大きく、装飾もレンガ色に包まれたこの街で異彩を放つようです。

ほんとに単色の色しか残らないこの街で、その塔を見るとまるで宝石を見ている感覚です。

こんな色の宝石ありましたよね。

そして隣のメドレセも学校というぐらいですからたくさんの部屋があるのが見えます。

ただし現在ホテルとして使われており中に入れなかったのが残念です。

さあ続いて向かったのがジュマ・モスクとそのミナレット。 

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正面から見ると普通の民家にミナレットが付随しているように見えますが中に入るとそこが民家でないことに気が付きます。

そこにあるのはたくさんの木の柱。

すべてに細かい装飾が施されており、一定間隔で配置されています。 

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中は薄暗く中庭に入ってくる太陽の光がその空間を幻想的なものに変えています。

太陽があたる柱は彫刻が浮き上がって見えるのです。 

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ただし、モスクという印象はあまりないけど。

ここで皆ひたすらメッカの方向に向いて拝んでいたのでしょうか。

そしてミナレットに登ってみました。

ジュマ・モスクのミナレットはヒヴァで2番目に高いミナレット。

もともとミナレットとはイスラム教にとって礼拝を告げる塔のこと。

ここで人が登り時間を伝えていたのです。

今では観光する場所となっていますけど。

さて円形の階段をひたすら登りミナレットの頂上へ。

そこにはヒヴァを一望できる風景が待っています。

上からヒヴァを見ると砂漠の中にあるということが実感でき、またすべてをレンガで造ってあるのがわかります。

何しろほんとに単色の街ですから。 

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でもモスクのドームやミナレットの部分には青やエメラルドグリーン色などの色彩が施されており。

街のアクセントとして輝いていました。

隣にさらに高いミナレットがそびえているのもさらに眺めを良くさせている気がします。

かつて礼拝を告げる人はこの風景を見ながら大声で時を伝えていたのでしょうね。

数百年変わることのない風景。

タイムスリップした感覚。

中世の中央アジアを見るならぜひヒヴァに来ることをお勧めします。

ミナレットを見た後はもう一つのミナレット。

ヒヴァで一番高いイスラーム・ホジャ・ミドレセとそのミナレットへ移動です。

街の道は狭く、方向も間違いそうですが、ミナレットがその場所まで案内してくれます。 

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それだけこの街にそびえている姿は天まで届いているのではという錯覚さえ起こしそうです。

ちょっと異質な感じがありますよね。

さて、さっそくミナレットへ登りました。

こちらのミナレットの上部は青いタイルで色彩されており、下の部分も帯状に色が付けられています。

これにより実際の高さより高く見えるのです。

本当は高さ45mしかないんですけどね。

100mはあるんじゃないかと思ってしまいます。

さてミナレットの上はやはり砂漠の町という印象ですね。 

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吹きつける風が乾燥しており、砂漠の町というものがどんな所か教えてくれます。

日本では考えられない暑さ。

ただし湿気というものが一切ないので、直射日光に当たらなければ涼しいですよ。

だから比較的観光も楽にできるのですけど、城壁が。

日陰を作る場所がないので、午前中の内に城壁を見ようと続いては城壁を一周してきました。

城壁も比較的良好に残されており。 

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中央アジアでは城壁は直線ではなく、ところどころに曲線の部分を作るのが特徴です。

また内城壁には4つの城門がありそれぞれ特徴的に作られています。

その中でも負の歴史をもった門があります。

それは東門。

かつてはこの門の目の前のバザールで奴隷が売られており、通称奴隷門と呼ばれていたのです。

ヒヴァのハーンは奴隷貿易を推奨。

各地で奴隷を集めてきては売りさばいていたのです。

それはこの地にロシアが進行してくる19世紀まで続いたのです。

悲しい事実がこの門には刻まれているのですね。

さて城壁一周はあっという間に終了。

何しろ30分かからないのですから。

これを聞けばこの街がどれだけ小さいかが実感できるのではないでしょうか。

城壁一周後は昼食を食べてから、一度宿に戻り。

お昼寝です。

というか体が火照って、放熱しないと体がもたなかったので。

ホントは30分だけ寝るはずが1時間以上寝たのは内緒です。

目覚めてからは再び観光。

続いては宮殿の中へと足を踏み入れました。

ヒヴァの王が住んだ宮殿はタシュ・ハウリ宮殿。

宮殿は二重構造になっており、王が政務をおこなった場所とハーレムで別れています。

しかもそれぞれ入口が違う。

そりゃハーレムに簡単に人が入ったら大変ですからね。

まず見たのは王が政務をおこなった側。

入ってみると、、、迷路なんですが。

少し迷いそうです。

左右対称に大きな中庭があり、そこは一本の柱で支えられた部屋が存在します。 

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柱には浮き彫りが施されており、周りの壁にはありとあらゆる幾何学模様が付けられています。

まるでここに立つものが神々しく見えるように。

それはハーンが権力を持っていた証でもあるのですね。

続いてはハーレムの方へ。

こちらは巨大な中庭に4つの大きな部屋が存在します。 

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すべては妻のために建設されており、要するに4人の妻がいたという証なのです。

部屋は優劣をつけるものは一切なく、どの部屋も同じような装飾がなされています。

天井部分には今までとは違った色が使われており。 

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中央アジアに来てから赤とかの色は初めて見たような気がします。

王はここで仕事とは違った世界を楽しんだのでしょう。

さて本日の最後の観光はもう一つの王宮に。

キョフナ・アルクと呼ばれた宮殿で、今までの建物とは違って城壁に囲まれています。

しかし中に入ると巨大な空間があり、たくさんの部屋が存在します。

こちらも迷路のような構造。

ただしひとつだけタシュ・ハウリ宮殿とは違ったのは、中庭に巨大な円形の台が設置されていたこと。

実はここにはユルタが建てられたと言われています。

ユルタとはモンゴルの遊牧民族が建てる円形の家のこと。

移動可能で、どんな場所でも設置できるのが特徴です。

要するに彼らは遊牧民族だった証拠なのです。

モンゴルから中央アジアにかけては実はほとんどが遊牧民族の帝国が乱立しました。

たとえば、皆が知っているモンゴル帝国や、ティムール帝国などもそうですし。

しかもあまり有名ではないですがインドのムガル帝国も実際には遊牧民族が支配者だったのです。

現にムガルの語源はモンゴルから来ているのですから。

遊牧民族が世界を支配したという証明をしているのです。

確かに世界でもっとも巨大な国を作ったモンゴル帝国は遊牧民族ですから納得です。

世界を席巻した遊牧民族

彼らはなぜにここまで広大な国を建設することができたのか。

遊牧民族だけ調べてもとても面白いことになりそうです。

さて、これにて本日の観光終了! 

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観光が終了したらすぐに宿に戻りクーラーの中へ。

やっぱり直射日光に当たるのはつらいです。

でもどことなくタシケントより涼しいので助かるところですが。

宿では本日撮った写真の整理。

つづいて、、、ってほとんどボケっとしていたような。

観光に疲れてしまった感じがあったから。

ある程度の時間がたったら夕食のために再び街へ。

まずはスーパーに向かい明日の移動のための食事を買い込み。

そして食事処へと向かいました。

が、ここでムカつくことが。

夕食を食べたまでは良かったのですが。

自分たちが食べた個数よりも多く計算されて。

会計がかなり高い額に。

もちろんこちらも負けじと反撃。

食べてないんだから払う必要まったくなし。。

向こうがあまりにもひかないから、ほんとに必要な額を払ってふざけんなという感じで逃げてきました。

もちろん追いかけてきましたが、それも途中まで。

とりあえず勝ちました。

というか、間違えるなよ!

食べてないもの請求するなっていうの!

ウズベキスタンは頭悪いのかだましているのかどっちだよ。

きっと頭悪いのでしょう。

結局、おいしく食べれたのに気分はどんより。

何も悪いことしてないのに。

こうして宿にもどってからはまったりと。

日記を書いたり、明日の準備をしたり。

明日は再び移動ですので気合を入れなければ。

このため、早く寝ようと思いましたが。。

なぜか寝れず。

まあ、なんとかなるでしょう。

では、また明日です。


ヒヴァのイチャン・カラアクセス
ヒヴァの最寄りの街はウルゲンチ
ウルゲンチにはタシケントから週3便ほど列車が通っている
もちろんタシケントやブハラからもバスで来ることができるが、夏の日中は相当暑くなるしお金がかかるので列車がお勧め。
ウルゲンチからはヒヴァ行きのトロリーバスが走っているが時間がかかるために乗合タクシーに乗るのが便利。
乗合タクシーはウルゲンチのバザールから出発している。
バスターミナルや駅からバザールに行くのには目の前にある通りから19番の路線タクシーに乗ること。
ヒヴァからウルゲンチは25kmぐらい離れている。





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