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 【ウズベキスタンの世界遺産

世界遺産「ブハラの歴史地区」
2008.08.05
 
2008年8月5日    367日目


オアシスにできた都

そして強大な権力

ブラハには様々なモスクと宮殿が残る


はい、目が覚めた。

目覚ましも鳴らさず7時起床。

やっぱり世界遺産観光だと気合いの入り方が違いますね。

が、宿の朝食がなかなか出てこず。

結局8時過ぎに朝食を食べ始めました。

朝食も終わり、まずは夫妻とお別れを。

夫妻は本日サマルカンドに向かうとのことで。

といっても明日私もサマルカンドへ向かうのでまた会うと思いますが。

とりあえず、また明日という感じでお別れです。

どのみちタシケントまでほとんど似たような日程なのでどこかで会うと思いますが。

ということで観光開始。

世界遺産「ブハラの歴史地区」へ足を踏み入れました。

ブハラの街が繁栄したのは9世紀のころ。

当時支配していたサーマーン朝の時に首都になり様々なイスラム教の文化が開花しました。

もちろんここはシルクロードの中継地として様々な文化が入り込んだのです

しかしモンゴル帝国の進行によりブハラは壊滅的な打撃を受けます。

チンギスハーンが1220年にブハラに侵攻。

これによりすべての建物が破壊しつくされて、残るはがれきの山へと変貌したのです。

こうして歴史に忘れられたブハラですが、14世紀と16世紀に再びの繁栄を迎えました。

まずブハラを再建したのはティムール帝国でした。

サマルカンドとともにブハラも修復されたのです。

そしてティムール帝国が滅んだ後はこの地を支配したウズベク人が繁栄させました。

当時ここを支配していたシャイバニ朝の首都に選ばれ国王が数多くのモスクや学校、宮殿を作りだしていったのです。

国王の称号ハーンはここに自国の粋を集めていきました。

この帝国を今ではブハラ・ハーン国と呼ぶようになります。

ブハラ・ハーン国はイスラム教を信じ、推進したためモスクやメドレセなどが乱立する結果となりました。

これにより聖なるブハラと呼ばれるようになったのです。

こうしてブハラは中央アジアで比類なき繁栄を迎えました。

この世界遺産「ブハラの歴史地区」は中央アジアにおけるイスラム教の建築を確立し、それを現在に残す場所として世界遺産に登録されました。

さて最初は宿の近くにあるハビハウズへ。

ハウズとは池のこと。

実はブハラはオアシス都市としてたくさんの池が存在したのです

この池によりブハラは砂漠のど真ん中という条件ながら繁栄を迎えることができたのです。

が、19世紀になりこの池の水から疫病が発生。

こうしてどんどんとブハラからハウズが消えていったのです。

現在の残るのは唯一6つだけ。

その一つで街の中心部に残るのがこのラビハウズなのです。

まあ、観光といっても池があるだけで、実際見たのはその周りにある3つの神学校とモスク。

ラビハウズの東西北にそれぞれ、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、クカリダシュ・メドレセという神学校とモスクがあるのです。

特にびっくりするのがナディール・ディヴァンベギ・メドレゼ。 

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というのもイスラム教の教義を破っている装飾があるのです。

要するに異端。

この写真をみて何か変なところがあるのがわかるでしょうか。 

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そうなんです。

なんと、偶像崇拝を禁止するイスラム教にとって、顔の描かれた装飾はタブー。

しかし、この建物には顔が描かれているのです。

これは今まで見たモスクでは絶対ない装飾。

普通なら取り壊されてもおかしくないのですが今まで残っているのが不思議なくらい。

それも17世紀の建築だというからさらにびっくりです。

400年間も壊されない異端の建築というのがね。

ちなみに描かれているのは2羽の鳳凰と太陽。

幾何学模様しか存在しないイスラムの文化で違った一面を見れてとてもうれしかったです。

さて、続いてはタキ周り。 

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タキというのは大通りの交差点の中心に築かれた円形のバザールのこと。

もちろん現在でも多種多様なお土産が売っております。 

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ブハラには3つのタキがあり、それぞれ売っている物も違う。

織物とか工芸品とか陶芸とかいろんなものが売っています。

まあ、正直お土産とかに興味が一切ないので全く売っているものは見なかったのですが。

当時から続く商店を見ることができました。

特に建物も十字路の中心のど真ん中に造られており、上部が全て円形。

外から見ても円形の建物が連なっているように見えます。

当時は車などなく、ここをラクダとかを往来していたので、十字路の中心にこのような建物があるのですね。

さてタキめぐりが終ったあとは、続いてメドレセ巡り。

中心部にある、ウルグベク・メドレセ、アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ、ミル・アラブ・メドレセを周ってみました。 

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ちなみにメドレセとは神学校のこと。

要するに大学のような感じです。

基本的には正面には巨大な門と、幾何学模様装飾。

そして中に入ると巨大な中庭があり、その周りにはたくさんの部屋が存在する建物。

このたくさんの部屋には学生が住み、イスラム教の教義を日々勉強していた場所。 

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ただし、現在の学校のような形ではなく、さまざまな装飾が施されており。

アラビア文字の装飾もあり、景観的にもかなりきれいに作られた学校ですよ。

その中でもウルグベク・メドレセは中央アジア最古の神学校。

15世紀に建てられた神学校で当時の建物をそのまま残しています。

当時からこのような彩色が施されて、見る者を惹きつけたのでしょう。

そして装飾で忘れてはならないのがミル・アラブ・メドレゼ。

こちらは屋根の上に2つのエメラルドグリーン色のドームを持ち、正面はいたるところに装飾が施されています。 

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しかもこのメドレセはソ連時代にソ連領の中でイスラム教の神学校を許された数少ない神学校。

学生はここでアラビア語やコーランなどを学んだのでしょう。

それにしても装飾が奇麗。

キリストや仏教にない装飾で、幾何学模様ですが、何か心に訴えかける装飾です。

この模様でイスラム教を表しているような。

偶像崇拝が禁止されているイスラム教にとってこのような文化が繁栄したんですよね。

でも、やはりイスラム教はどこの文様も同じように見えてしまう気が。

それは、禁止事項が多いために結局描けるものが同じになってしまうから。

ただし、私が見た中で中央アジアとインドで違う点は色。

インドはほとんどを白大理石や紅石で装飾していましたが、ここは陶器。

様々な色が施せるのですよね。

特に中央アジアといえばトルコ石を混ぜた色。

スカイブルーやエメラルド色、そしてラピスラズリ色が目を奪うのです。

これも見ると心が和む気がします。

そもそもそのトルコ石の青を求めて中央アジアに来たのですから、そのように感じるのかも。

そもそも私は昔から青が好きですからね。

さて、その後は目の前にあるミナレットを外し、アルク城へ向かいました。

ここは歴代のハーンの居城だった場所。

ロシア軍が侵攻するまではここがブラハの中心だったのです。

さて早速お金を払って中へ。

、、、、えっと、、、、ほとんど見る場所ないですが。

城の上に登ったといってもほとんどがお土産屋。

一部博物館になっているだけで景色が眺められない。。

これではお金払い損。

、、、、何度見て回っても景色を見れるところはほとんどなく。

アルク城は見る必要無かったかも。

当時の建物が一切残っていないしね。

まあ、気を取り直してブハラでもちょっと離れた遺跡に行くことにしました。

向かったのは歴代のハーンが使ったバラハウズ・モスクや預言者の泉チャシュマ・アイユブなど。 

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特に一番建築的に美しいと思ったのがイスマイール・サーマーニ廟。

これは中央アジア最古のイスラム建築。 

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日干しレンガで造られ、8世紀ごろの建築とされています。

チンギス・ハーンの進攻の時にはすべてが砂で埋まっており、破壊からのがれた唯一の建築で。

20世紀にようやく発掘され、過去のイスラム建築があらわになったのです。

初めて見た瞬間は、、、古いレンガの建物だと思いましたが。

よくよく見てみるとそのレンガが装飾に合わせてうまく積み上げられており。

太陽の光と影によりより一層装飾を複雑にさせている感じがあります。

柱ですらまっすぐ建てるのではなく微妙にレンガを組み替えて装飾を施しているように見せている。

これはほんとにすばらしい建築だと感じました。

さてブハラのほとんどの建築を見終わってからはメインどころに移動。

カラーン・モスクとカラーン・ミナレットへ。 

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さっそくカラーン・モスクの中に入っているとびっくり。

モスク特有の中庭があり、周りは回廊で埋め尽くされ。

中庭に面している場所には様々な装飾がなしてある。

特にメッカを向いている場所には教壇とメッカを示すイーワーンが設置してあり。 

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どの場所を向いてもその装飾が煌びやかで引き込まれるようでした。

それにしてもここは中庭が広い。 

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なんと当時1万人以上もの人が礼拝できたというからかなり大きいわけです。

ともかく、あまりにも風景が美しすぎて30分以上も立ち尽くしてしまいました。

そしてカラーン・モスクに付属するミナレットへ行こうとしましたが、何と入口が見つからず。

入口で聞いてみると何と2時までは開かないと言われてしまって。

このため、まずはミナレット観光を諦めて。

時間が来るまでネットをすることにしました。

数日ぶりのネットだったので結構メール返信をするのに時間がかかってしまった。

しかも予想以上にお金がかかったし。

ちょっと不満。。

そして一度宿に戻り荷物を置いてから観光しようと思いましたが。

宿はクーラーが聞いているので30分ほど涼んでしまいました。

でも3時半を過ぎてしまったので。

あわてて観光再開。

またミナレットにもどりました。

さてようやくカラーン・モスクに戻り、ミナレットの入場料を払って。

ミナレットへと登ることができました。

このミナレットは高さ46m。

下からは円形状の螺旋で登るようになっており、内部は薄暗く。

しかも階段が急だから登るのも結構怖い。

しかし頂上に着いた時には素晴らしい風景が待っています。

周辺もモスクやメドレセを一望でき、ブハラのオアシス都市だったとわかる風景が見れます。 

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辺り一面、日干しレンガで造った建物と、緑だけ。

目の前にはエメラルド・グリーンのモスクの天井部分が広がります。

ちょっとここは感動。

お金払ってでもここに入る理由があります。

ちょっと入口がわかりにくいですが、カラーン・モスクのお金払うところに聞いてみてください。

料金はかかりますが、その分の価値があります。

ちなみにこの展望台に30分もいてしまいました。

空から眺めるオアシス。

素晴らしい風景ですね。

こうして、ブハラの観光が終了してからは宿に戻り。

さっそく写真の整理。

本日は300枚以上もの写真を撮ったので、その中でも気に入らない写真を消す作業が。

結構長いこと写真整理をしていました。

クーラーが付いていたのでちょっとのんびりしていたのは内緒です。

写真の整理が終わってからは夕食へ。

昨日は5人で食事しましたが、本日は一人寂しく。

、、、悲しい。。

そして再び宿に戻り、ずっと日記を書いていました。

が、もちろん終わるわけもなく。

さて明日はサマルカンドへ移動です。

とうとう世界遺産の中でも行ってみたいと思ったサマルカンドへ。

シルクロードの交差点サマルカンド

どのような風景が待っているのでしょうか。

今から楽しみです。


ブハラアクセス
タシケントやサマルカンドからバスが出ている。
また列車で行くことも可能
タシケントからバスの場合はサビール・ラヒモフの地下鉄駅で長距離バスターミナルがあるのでそこから乗ること。





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