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 【ウズベキスタンの世界遺産

世界遺産「シャフリサーブス歴史地区」
2008.08.07
 
2008年8月7日    369日目


ティムール帝国

世界に名をとどろかせた王国はここから始まった

ティムールが残した故郷のモスク


目覚ましの音で目が覚めた。

本日はサマルカンドから120km離れている場所へ日帰り観光なので。

しかもそこに行くには乗合タクシーで行くしかなく。

ちょうど現在日本人4人いるためにすぐに乗合タクシーに乗れる。

このため皆で相談して朝一番に行くことにしました。

起きてからまずは朝食。

ウズベキスタンに入ってからヨーグルトがおいしくてホントにうれしい。

おかげで最近お腹の調子がいいのです。

食べ終わって、準備をしてから出発。

目的地への乗合タクシーを捕まえて交渉。

これが意外と難攻した。

といっても料金に。

予想以上の値上がりをしており、あまり値下げができなかったのが原因。

あと運ちゃんが英語をしゃべれなかったのも原因かな。

ともかく、こちらが妥協して一路目的地シャブリサーブスの街へ。

サマルカンドから120km離れているために2時間ぐらいかかるのかと思ったら何と1時間ちょっとで着いた。

かなりの速度で飛ばしていたからね。

さてようやく着いた場所こそ世界遺産「シャブリサーブス」

こここそティムール帝国が始まった場所。

ティムールの生まれた場所なのです。 

時は14世紀、この地を治めた領主のもとに一人の赤ん坊が生まれました。

彼は成長するにつれてその能力を発揮。

次第にはウズベキスタンどころかオリエントやインドの覇権まで手に入れてしまったのです。

こうして巨大な権力をもったティムールは自分の生まれ故郷に巨大なモスクや自分が亡くなった時のための廟を建てることを決意。

瞬く間にシャフリザーブスの街は変貌を遂げたのです。

ティムールが住むための宮殿。

自身の父のために造られたお墓。

自分のために造られたお墓。

など様々な建築が作られ、ここに栄華を極めたのです。

しかし、この場所は悲しい歴史が待っています。

ティムール帝国が崩壊後、この地を治めたブハラハーンがこのシャフリサーブスの街に嫉妬。

というかティムールの権力に嫉妬したのです。

これによりティムールの遺跡を破壊してしまったのです。

現在シャフリサーブスには破壊された遺跡の跡だけ残ります。

歴史に消えたシャフリサーブスはティムール帝国の宮殿建築を残し、それは後世に影響を与えたとして世界遺産に登録されました。

まずシャフリサーブスの街に到着してからは車の帰る時間を確認。

所要3時間の観光です。

このためさっそく観光開始。

最初にみたのはアク・サライ宮殿跡。 

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ここはティムールが住んだ宮殿。

そしてティムールが作った最大の建築。

しかし、その後の破壊により現在はその門しか残されておりません。

門のアーチ部分が残り、シャフリサーブスの街に静かに佇んでいるのです。

でもそれがかつての巨大な建造物だったということは一目見ただけでわかるその存在感。

というのも、門の部分だけなのにかなりの巨大さを誇っているのです。

しかもよくよく見ると2つの塔のように見えますが、向かい合っている上部側は少し丸みを帯びており。

それがアーチ型をしているのがわかります。

要するに完成時はそれ以上の高さがあったことの証明。

、、これ以上高かったって。

そして横には塔が建っていたと思われる円柱の柱もあり。 

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それも崩れているのですが、残っていたらどれだけの大きさになったのか。

想像だけしてみても信じられない建物だったのは間違いありません。

しかも最初にみた部分は崩壊した方向だったためにまったくの装飾は残っておらず。

しかし裏手に回ると埋め尽くされるほどの装飾の数々。 

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かつては宮殿の周りすべてにこの装飾が施されていたのでしょうか。

まさしく中央アジア全体を支配したティムールの宮殿です。

ちなみに現在この宮殿跡の上部に登れて。

そこから見るシャフリサーブスの街の眺めは絶景です。

目の前に広がる公園の中心には一つの像が。

この像こそアムール・ティムール。 

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そして遠くには巨大な青いドームが見て取れます。 

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のどかな街に残る権力の証ですね。

さて続いて向かったのはドルッティロヴァット建築群。 

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ここにはティムールの父が眠っています。

厳密にいえばここには1つのモスクと2つの廟があり、一つはティムールが父のために建てた廟。

もう一つはティムールの孫ウルグベクによって子孫のために建てられたのです。 

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このために2つの廟は向かい合って存在します。

その中心にモスクがある形。

モスクは中央アジア特有のモスクであり、青いドームと正面には埋め尽くされた装飾が飾っています。

しかし、このモスクは内部がしっかり残っており。

当時の装飾が今でも見ることができます。

白い漆喰で覆い、その上から顔料で装飾するスタイル。

黄色や青などがふんだんに使われており、今まで見てきた装飾とは一味違った雰囲気。 

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イスラム建築なのですべては模様ですがまるで絵画を見ている感じです。

あまりにもきれいだったので少し立ち尽くしてしまいました。

外から見たらどこにでもありそうなモスクという印象ですけどここは内部がお勧めですね。

さて最後に向かったのはドルッサオダット建築群。

ここはティムールが眠る場所として建てられた建築です。 

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ティムールは自分がいつか死ぬ時のために自らの廟を建てていました。

またティムールの長男は若くして戦死してしまい、長男の廟とともにここに葬られる予定だったのです。

しかしティムール没後、その願いはかなえられずサマルカンドへと廟は写されたのです。

このためこちらは廃墟となり、ティムールが入るだったはずの廟はほとんどが崩れてしまい。

今では地下室の墓石が残るのみ。

長男の廟以外はほとんど残っていないのです。

でも、びっくりするのは礎石。 

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崩壊したとはいえ礎石だけは残っており、そのあとを見るとここがいかに巨大で大きな建物だったかを表しています。

内部は複雑でたくさんの部屋を有し、中心にティムールの廟が来るように配置されています。

でも今は地下に入る階段があるだけ。

その先には何も入っていない墓石が残るのみです。

破壊された跡。

ティムールが夢見た姿とは見るも無残になった場所。

歴史から消えた場所なのですね。

装飾の類も一切残っていませんし。

一部残っている部分の内部にも一切の装飾がなかった。

少し見ていて悲しくなるような場所です。

こうして一通り見終わった後は再びメインのアク・サライ宮殿跡を見に。

でも今回は3時間しか観光ができなかったのでこれで終了。

街自体小さかったので3時間でも長いかなと思いましたが、やはり短かった。

帰りの乗合タクシーもサマルカンドで往復で契約しているから運ちゃん待たせているし。

ちなみに帰りは大部分睡眠。

観光できっと疲れていたのでしょう。

宿に戻ってからは日記を。

昨日ほとんど日記を書いていなかったから。

あとやっぱり疲れていたので睡眠です。

サマルカンドはウズベキスタンの中でも比較的涼しいので過ごしやすい。

日中でも日陰にいればそれなりに涼しいし。

今のところタシケントが一番暑く感じています。

泊まった宿が風通し悪かったからでしょうね。

さてこうして時間は過ぎ。

夕食の時間へと。

本日も宿で夕食ですよ。

何しろ2ドルでお腹いっぱい食べれるのですから。

ウズベキスタンではなかなかお腹いっぱい食べるということができなくて。

しかも料金が高い。

この宿は一切そんなことがないのでほんとにうれしい。

、、、毎日同じようなメニューでも気にしない。


シャフリサーブスアクセス
サマルカンドの国立文化歴史博物館の南側にある交差点の南に向かう通りからシャフリサーブス行きの乗合タクシーあり。
バスは通っていない。
乗合タクシーもシャフリサーブスの手前のキターブの町までしかない可能性があり。
しかしキターブからシャフリサーブスまでは路線バスが走っているため問題はない。 


おまけ
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