青い空に浮かぶ青いタイル
そこには巨大なモスクや学校がそびえる
ティムール王国の栄華
なぜだか朝早く起きてしまった。
しかも目覚ましも鳴らさず。
、、、不思議だ。
さて、起床してからはすぐに朝食。
その後ちょっとまったりしてからさっそく観光を開始しました。
シルクロードの交差点、世界遺産「サマルカンド・文化交差路」です。
サマルカンドは世界遺産名に文化交差路と名がつくほど歴史にとって重要な場所。
東西の文化がここで交差していることを示しています。
なぜこのようにサマルカンドが文化の交差点になったのにはユーラシアの地形を見なければなりません。
かつてここはシルクロードの一部でした。
巨大なユーラシア大陸で様々な交易をするために東西を結ぶ道ができたのです。
しかし、このシルクロードには様々な困難がありました。
それこそ道をふさぐ荒涼とした砂漠と山脈なのです。
彼らはその過酷な環境を回避するために砂漠や山脈を回避しながら西へと東へと進んでいきました。
そしてようやく中間に辿り着いたところにサマルカンドはあったのです。
サマルカンドの立地条件は東に天山山脈、西にはキジルクム砂漠と荒涼とした大地にあります。
しかしサマルカンドには豊富な水があり、そこにはオアシスがあったのです。
西から東に向かう人も、東から西に向かう人も山脈や砂漠を避けるためにサマルカンドによらなければならず、サマルカンドには様々な交易の人々が訪れました。
こうしてサマルカンドにはユーラシアの文化が全て集まりここが文化交差路と呼ばれるようになりました。
しかし、このサマルカンドに侵攻してきた一つの帝国がありました。
彼らはすべてを破壊し、サマルカンドにあった建築を一つ残らず消し去ったのです。
その帝国こそモンゴル帝国。
チンギス・ハーン率いる軍隊が当時中央アジアで覇権を握っていたホレズム王国を滅ぼすために中央アジアに侵攻してきたのです。
これにより中央アジアのほとんどの街が廃墟へと変貌してしまったのです。
こうしてサマルカンドは歴史から消えるところにある帝国が再び中央アジアで繁栄します。
それこそティムール帝国
サマルカンド近くのシャフリサーブスで生まれたティムールはこの地で力をつけ、やがて中央アジアを越え中東やインドなども支配。
その首都に選ばれたサマルカンドは一躍栄光の都市へと変貌を遂げたのです。
こうしてサマルカンドにはティムール帝国の様々な遺構が現在でも残ります。
それはサマルカンドが文化の交差路として交易が繁栄した証拠でもあります。
こうしてサマルカンド・文化交差路はティムール帝国の建築が残り、東西の文化が交差した場所として世界遺産に登録されました。
さて最初に向かった場所こそ、サマルカンドでも3つの建築が全て向かい合ってそろっているレギスタン広場。
ここにはウルグベク・メドレセ、シェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセという三つのメドレセがそれぞれ広場に向かって作られているのです。
その姿は中央アジアでも随一と呼ばれ、その場所に立つだけでもサマルカンドがいかに繁栄したかがわかる場所。
イスラム教の緻密な幾何学模様に、中央アジア特有の青いタイルが使用されており、空の青と同化しています。
今まで個々にこのような建築を見てきましたが、これほど一ヶ所にそして広場に向かってそびえている姿を見ると壮観。
まさしくティムール帝国が見てきた世界が見えてきます。
そもそもメドレセとは学校のこと。
ティムール帝国はイスラム教を布教・研究するために様々な神学校が建てられたのです。
そのティムール帝国の中で人一倍研究熱心な皇帝がいました。
ティムールの孫・ウルグベク
彼は自らが天文学者であり、教師という特出した皇帝だったのです。
このため最初にこの広場にメドレセを建てたのはウルグベクでした。
1420年に彼はこのウルグベク・メドレセを建築。
ここで様々な教育が施され、さらに研究にも力を入れたのです。
当時、このメドレセ以外には交易の人たちが宿泊する施設が建設されていて、現在のような豪華絢爛な姿ではありませんでした。
しかし、その後1636年と1660年にそれぞれシェルドル・メドレセとティラカリ・メドレセが建設。
レギスタン広場は世界でも有数の美しい広場へと変貌したのです。
特にこのメドレセの建築で面白いのはミナレット。
普通イスラム教にとってミナレットとはお祈りの時間を皆に告げるためのもの。
しかし、ここのミナレットは空を支えるためのものといわれている。
このため頂上部分には人が立つ部分はなく、まさに青い空をメドレセが支えているかの様に見えます。
しかもミナレットの一本が少し傾いているのは空の重さのせいだと伝わっているのです。
さて、この広場の前に立つとその姿に感動します。
一つ一つ全く模様が違う幾何学模様。
イスラム教独特の門やアーチ。
そして太陽の光に照らされて光るドーム
ただ一点を見ているだけなのに、広大な空間を見ているかの様な錯覚。
まさしくここは文化交差路にふさわしい場所といえるのではないでしょうか。
メドレセの中はやっぱり学校というだけあってたくさんの部屋に分かれています。
現在は学校ではなくウズベキスタン独特の工芸を作る場所として存在し、そこで様々なお土産を売っています。
一つ一つの部屋には全く装飾はありませんが、中庭に向いている場所はすべて青の装飾が施されています。
学校には必要無いぐらいの装飾で少し驚きますね。
そしてシェルドル・メドレセの門にはイスラム教では禁止されている文様が描かれています。
それは「顔」
偶像崇拝を禁止するイスラム教では顔という類は一切禁止ですが、このメドレセには動物が描かれているのです。
これはこれを建てた権力者が自分の力を見せつけるために描かせたと伝えられています。
イスラム教では絶対お目にかかることのない動物や顔。
こことブラハだけで楽しめる装飾かもしれません。
でも、異端であることには変わりないのに、なぜこのような装飾が残っていたのか。
普通つぶされそうなものですが。
よくこれだけの年月も存在できたのか。
それがかなり不思議でしたね。
さて、最後に見たのがティラカリ・メドレセ。
ここは2つのメドレセと少し雰囲気が違います。
2つはほんとの学校だったのに対して、こちらはモスクも併設されています。
モスクの上にはドームも建設されており、レギスタン広場の中で最も輝いて見えるのです。
しかも驚くべきところはその内部。
何しろすべて金色で装飾されているのです。
しかももちろん幾何学模様で彩色されており、見る者すべてを引きこませるほどの輝きを持っています。
特に素晴らしいのは天井のドーム部分。
円形状に装飾されており、金と青を織り交ぜながらきれいに並んでいます。
またミフラーブ(聖地メッカと示す壁)にも金色で彩られています。
周りにもアラビア文字で書かれたコーランも金色で。
ここに入ったものは輝いたものしか見ることを許さないぐらいの黄金が使われているのです。
まさにこれこそ権力の象徴であったのでしょうね。
さて、こんな素晴らしいレギスタン広場を飽きることもなくずっと見ていました。
でも、お昼ごろに暑くなってきたので。
宿に戻って昼食を。
というか、お昼はあまりにも暑すぎて観光できない。
サマルカンドはオアシス都市ですが、オアシスって砂漠の中にありますから。
基本的に砂漠気候。
昼間は自分の体温以上に温度が上がるのです。
このため昼間に観光するのがすごくしんどい。
だから昼寝をするのです。
ということで2時間ぐらい寝たでしょうか。
こうするとおやつの時間ぐらいになるので、少し暑さが和らぐのです。
このため再び観光。
向かったのはグリ・アミール廟です。
ここはティムール帝国の皇帝たちが眠る場所。
グリ・アミールとは支配者の墓という意味なのです。
もちろんここにはティムール帝国の創始者ティムールをはじめ、孫のウルグベクや息子などが眠っているのです。
しかしティムール自身はもともとここで葬られることを望んでいませんでした。
彼は自分が生まれた場所シャフリサーブスに自らの廟を建てていたのです。
しかし、その願いはかなえられませんでした。
もともとここはティムールが孫の廟のために建てられました。
しかし、すぐにティムール自身もなくなってしまいここに眠ることとなったのです。
ただし現在このグリ・アミール廟は正面門と廟の中心部しか残っていません。
周りの建物は基礎部分しか残っていなく一見するとさみしい建物という印象。
しかし基礎部分がもし残っているとするとここは有数の壮大な建築だったことがわかります。
たくさんの部屋が存在し、門にもきれいな装飾が残っています。
もちろん、お墓が存在する部分には巨大なドームも残っており、ミナレットも天に向かってそびえています。
特にドームは今まで見た曲線で平らなものではなく、ちょっと変形した形。
色は今までの中央アジアの青ですが。
一味違った外見を見せてくれるのです。
しかし、この廟をすごく侮っていましたが、びっくりしたのは内部に入ってから。
中に入った瞬間にそこは別世界へ変化したのです。
そこは色輝く装飾に埋め尽くされた空間。
天井のドーム部分から床まで続く壁のいたるところに黄金に輝いています。
ドームの中心からはシャンゼリゼが垂れており、その一つ一つの光が周りの金色に反射しているのです。
金色の装飾がない部分は青色で塗りつぶされており、その2色の世界で覆われています。
装飾も、植物、文字、幾何学で施されており鮮やかな世界が作られているのです。
下には皇帝の墓標が。
墓標には装飾ではなく彫刻が施されており、周りの空間から言ったら少し簡素に見えます。
特にティムール自身の墓標には小さなドームがあるぐらいで何の彫刻も施されていません。
そのアンバランス差が不思議な空間へと変えているようでした。
この感動は写真で見てもらうしかないですね。
ただし内部は薄暗かったために写真を撮るのに苦労しました。
ちょっと暗いのはしょうがないと思ってくださいね。
世界を変えた、歴史にその名をとどろかせたティムールが眠る場所。
そこは中央アジアの青い空の下、豪華な空間に簡素な墓標で彩られている場所でもありました。
こうして本日の観光終了。
宿に戻り、夕食です。
夕食時に日本人が結構集まったのでそのまま談話が始まり。
結構な時間まで話してしまいました。
というか、時間がたつのが早いですね。
気がついたら夜の0時過ぎてました。
明日も観光しなければならないし、シャワーも浴びなければいけないので、すぐに部屋に戻り。
明日の準備をして睡眠です。
明日もサマルカンド観光ですよ。
もしよろしければクリックしてください。

世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。