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 【ウズベキスタンの世界遺産

世界遺産「サマルカンド・文化交差路」(2)
2008.08.09
 
2008年8月9日    371日目


中央アジアに君臨したティムール王国

その王ティムールはこの地に数々の繁栄をもたらせた

中央アジア一のモスクもここに残る



はいはい、なぜかの2日連続早起き。

特に早起きしなくてもいいのに。

なぜだか目が覚めてしまう。。

結構疲れているのにな。

さて目覚めてからは宿でのんびりと。

まずは朝食を食べて。

お腹の調子が落ち着くまでゆったりしていました。

そして続いて日本人の見送り。

本日は20日間ぐらい一緒にいた人とのお別れ。

ビシュケクで出会い、そこから今の今までほとんど同じ行動をしてきた人。

私は日本へ、彼はタジキスタンへと向かう為に本日お別れとなりました。

今までこれだけ長い期間一緒に旅してきた人はいなく。

この旅で最も長く一緒にいた人。

今も一緒にいる夫妻とともによく20日間も一緒にいたもんだ。

それだけ中央アジアは人数が多いほど移動が楽で、観光もほとんど同じところだったということです。

こうして宿の前でお別れを。

またこの空のどこかで会いましょう。

多分、予定では2か月以内に日本で会えそうな予感がしますがね。

さてお別れが終わったら、私はサマルカンドの観光を開始ししました。

本日最初に向かったのはビビハニム・モスク。

こここそ中央アジア最大のモスクなのです。

ティムール王国の祖ティムール。

彼は自分の権力を誇示するためにサマルカンドに世界で最も大きいモスクを作ることを決断。

しかも彼はこのモスクを最速で造りあげることにしたのです。

このため帝国内部から様々な職人が集められました。

建築家、職人、労働者などなど。

中には象や馬なども集められたのです。

こうして工事は急ピッチで進められました。

しかもティムール自身がモスクの陣頭指揮を取り、毎日工事を急がせていたのです。

これによりティムールが亡くなる1年前にヒビハニム・モスクは完成します。

それは中央アジアやイスラムの粋をすべて結集して作られ、巨大なドームに巨大なミナレット、そして当時のモスクの最大の大きさを誇ったのです。

しかし、このモスクには崩落という現実が待っていました。

というのもティムールがあまりにも工事を急がせ、そして世界でも最大級のモスクということもあり、天井からレンガが徐々に落ちてきてしまったのです。

これにより礼拝する人はどんどん減りやがて廃墟となったのです。

ティムール帝国最大の建築はこうして歴史の舞台から消えていきました。

さて最初に一目見た時にわかるその巨大さ。

遠くからでもその建築が目につきます。

正面に行くとさらにこの建物の大きさが際立ちます。

空を見上げても首が痛くなるほど高い入口。 

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写真では全景が全く入らない。

これはすごいとしか言いようがない。

さらにティムールはこれを自分が生きているときに生み出したというのだから驚きです。

細部までもがきっちりと装飾され、イスラム建築特有の幾何学模様そして中央アジア特有の青いタイルで埋め尽くされているのです。

そして中に入ってからもこのビビハニムに驚かされます。

中にはモスク特有の中庭が広がっており、左右には小さなドーム。 

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そして正面にはこれまた巨大なドームが君臨しているのです。

細部にわたった装飾。

中央アジア特有の青いタイルや濃紺のタイル。 

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アラビア文字のコーランが書かれたドームの輝き。

すべてはイスラム教を信仰する証でできたもの。

ティムールがどれだけ権力を持ち、どれだけイスラム教を信仰していたのか一目瞭然です。

ただ、このヒビハニム・モスクは歴史通りに内部には全く何もなく。

装飾の類も一切残されておりません。

これは崩落の跡。

急ピッチで工事を進めた爪痕なのです。

これによりモスクは使われなくなりました。

、、、、って、ほんとに崩落してきたよ。

小さいかけらだったけど。

かなりびっくりしました。

ヒビハニム・モスクを観光した後はシャーヒズィンダ廟群へ移動。

サマルカンドのアフラシャブの丘にたたずむ数々のお墓です。 

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ここにはティムール帝国ゆかりの人々が一直線に葬られている場所。

中心を走る通りは死者の通りと呼ばれ、シャーヒズィンダとは生ける王という意味。

その名の通りにたくさんの権力者が眠り、この丘からサマルカンドの歴史を見つめ続けたのです。

さっそく中に入ってみるとびっくり。

今までで一番細かな装飾が施されています。 

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しかも1つだけでなく大部分の廟が中央アジア特有の青のタイルで。

それはじっくり見てもあまりにも細かすぎるので唖然とするばかり。 

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幾何学模様が所狭しと迫っているのです。 

中には途中で作るのを放棄した廟もあり、そのコントラストも意外に見もの。

シャーヒズィンダは一本の通りの両隣りに小さな廟が並んでいるところ。 

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一番奥はこれまでにない鮮やかさ緻密さを兼ね備えた廟が並んでおり、まさに最後を締めるにふさわしい。 

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ほとんどはティムールの乳母、ティムールの部下、ティムールの妹などすべてティムールにかかわった人々。 

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ティムールの権力はその関係者まで影響を及ぼしていた証拠です。

それにしてもここが一番見ていて飽きない場所かも。

どこを見ても豪華絢爛な廟であり、幾何学模様一つとっても青い色が映え目を引きつけるのです。

それが一本の通りにずらっと並んでいる。

ここはほんとにお勧めです。

というかサマルカンドはティムールの粋が残っており、どこもかしこも豪華絢爛。

ぜひぜひサマルカンドへ足を踏み入れてはいかがでしょうか。

さてこれにてサマルカンドの観光終了。

このため周辺はかなり暑いので宿に戻ることにしました。

途中で昼食を買い、宿に戻り昼食。

そして昼寝です。

最近は昼寝が日課になっていますね。

2時間ぐらい寝てしまいました。

昼寝が終了してからは日記を。

このところ暑いので全く日記が書けなかったから。

少しでも進めておかないと。

こうして夕方になり、比較的涼しくなったのでインターネットをやりに行きました。

久しぶりのインターネット。

ちょっと長めにやってしまいました。

が、日記の更新はできず。

この調子で行くと日本で更新となりそうです。

そして、宿に戻り夕食。

夕食後は夜までずっと宿にいる日本人と話していました。

それにしても今小学校の先生の旅行シーズン。

キルギス・ウズベキスタンで4人もの小学校の先生に出会った。

どうしてと思ったら、学校の先生の中でも小学校の先生が一番休みを多く取れるらしく。

それがちょうど今の時期らしいです。

旅にでないと違う業種の人たちに会いませんからね。

今まで様々な業種で働いている人たちに出会いました。

病院の先生、学校の先生、芸能人のマネージャー、写真家などなど

ほとんどの人が元に付きますけどね。

長期の旅をするとなるとみんな仕事を辞めてしまうので。

私ももちろん仕事辞めているし。

それでも様々な仕事の話を聞けるのがすごく楽しいです。

違う世界が見えてきますからね。

このため、話が長くなる。

気がついた時には夜の0時。

明日も比較的早いからそろそろ寝ないと。

さて明日は再び首都のタシケントに戻ります。





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