TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【[雑学]アジア

[イラン]イスファハーンのイマーム広場
2000.12.30
 
--世界の半分--

アッラーは信仰深い男女に約束した。
小川の流れる楽園を。
また彼らが永遠にそこに住む事を。
これはコーランの一節
しかし、現代にこの場所が存在するのである。

イスファハーンのイマーム広場  イラン


イラン高原に栄える都。イスファハーン。
ここは数々の王朝が栄光と挫折を味わい、たくさんの権力者に支配された街。
水が豊富で気候などの自然条件に恵まれた場所であった。

この街が作られたのは紀元前8世紀に始まる。
最初の王国はメディア王国であった。
その後、パルティア、7世紀にササン朝ペルシア、11世紀にはセルジューク朝、13世紀にはモンゴル国イル・ハーン、15世紀にはトルクメン族王朝など、歴史に残る数々の王朝がこの街を支配していった。
それほど、このイスファハーンは重要な都市であった。
この場所は、絹や綿などの織物の交易地であったことと、周囲の平原を兵士の宿営地などに利用されたためである。
「軍隊のいる場所」
この意味を持つイスファハーンの名前の由来である。

そして、ここをもっとも繁栄させた王朝が現れる。
17世紀、850年ぶりに誕生したペルシア人の王朝。
サファヴィー朝
ムハンマドの子孫と称するイスマーイールが創始した王朝。
このサファヴィー朝の第5代王アッバース1世がイスファハーンに都を遷都したことに始まる。
アッバース1世はここを文化、政治、経済、宗教などすべての中心となるよう強大な都市計画を描き出した。
それは広場を中心とし、周囲にモスク・宮殿・アーケードに囲まれた造り。
広場の広さは160m×540m。
通常の広場の構成とは違った異なる空間をかもし出したきわめて珍しい例である。
そして広場は「イマーム広場」と呼ばれるようになる。
これはイスラムの指導者の広場と言う意味を持つのである。

そして、広場の中心にはモスクが建てられた。
4本のミナレットを持ち、高さ47mもあるドーム、中庭に噴水を持つモスクである。
装飾は緻密なエメラルドブルーなどのタイル装飾が施され「咲き乱れる華」を思わせるほど。
これこそイスラム建築の最高傑作と謳われる地上の物とは思えないほどのアラベスク装飾。
アッバース1世はコーランの一説に載っている理想郷をこの手で作り上げたのである。

このアッバース1世が建てたこのイスファハーンはその豪華な装飾や王朝の栄華から17世紀後半にこう呼ばれるようになる。
「世界の半分」
これは名のとおり、ここには世界の半分がここにあったのである。
これこそ、ペルシア人が求めた夢の土地であった。


イスファハーンのイマーム広場にはイスラム建築の絶頂期の建築が残り、広場が社会的・文化的に生活と密接に結びついていた事から1979年世界遺産に登録された。
ここはイスラム教にとって永遠の楽園であった。





ここはずっと行って見たいと思ってました。
イスラム建築を見るならここという場所です。
その豪華な装飾といったら絶句するほど。
ぜひその深青のタイルで作られた装飾を目に焼き付けたいです。