世界史を大きく変えた場所
それは猿と人類のちょうど中間の原人が発見されたことに始まる
特に最大の発見は北京原人が火を使用しているということ。
朝起きてみたらびっくり。
大雨です。
雷も鳴っているし。。。
せっかく万里の長城に向かおうとしたのに。
ということで、予定を変更。
たぶん、そんなに歩かなくていいいだろう北京原人が見つかった場所に行くことにしました。
万里の長城に向かうために早起きをしたのですが、近い場所に行くということでのんびりと朝食を。
そしたら、何と日本人3人が起きてくるではないですか。
ちなみに全員違う旅の人たちです。
なのでいろいろと情報交換。
一人はこれからモンゴルに行くという人まで。
その人に中国の黄龍は季節限定だから早めに行ったほうがいいよとアドバイスされました。
実は私も少し中国のまわり方を変えようと思っています。
今更ながら知ったのですが途中香港による予定だったのですが、香港は今外国とみなされてビザの効力が切れてしまいます。
せっかく90日ビザを取ったのに。
なので、西安から昆明に吹っ飛ばして成都へ北上しようかなと思っています。
成都からは東に向かい再び南京に出てそれから香港に向かおうかな。
まだいろいろ未定なので決定ではないのですがね。
まあ、そんなこんなで話していたら本日故宮に行こうとしていた人がこの大雨で予定を変更。
私と一緒に北京原人の周口店に向かうことになりました。
さっそく宿の近くのバス停からバスに乗り込み、、、、って。
満員なんですけど。
ちょうど通勤ラッシュにあたったみたい。
挙句の果てに目的のバス停で降りるのが困難。
なんとか私は降りられたのですが、一緒に行った人が降りれず。
はぐれてしまいました。
というわけではぐれた場所で待つこと5分。
やっとのことで合流しました。
その後はさらにバスに乗り継いで天橋というところで下車。
ここで目的のバスの乗り場を探したのですが一向にない。。
現地の人にバスのNo.を書いた紙を見せて向かった先は何と、高速バスターミナルの目の前じゃん。
しかも917番のバス停が3ヶ所ぐらいあるんですけど。
同じ917番でも行き先が全く違うらしい。
とりあえず、地●の歩き方に乗っている方法だと思われる場所に並んでいたらおじさんに違うよと言われてしまった。
え、え、917番のバスに乗らないといけないからあってるんじゃないのって思っていたら、4か所目の917番のバス停があった。
確かにそちらには途中下車に周口店街口と書かれていたよ。
何で同じ路線でこんなに複雑なんだ。。
ようやくバスに乗り込みあまりにも疲れてしまったのでバスで寝てしまった。
でも目的地付近で何となく起きてしまうこの能力。
なぜだかわからないけど勝手に目が覚めちゃうんだよね。
バス停に降り立ってから気づいた。
見渡す限り、どちらに行っていいかさっぱりわからない。
地●の歩き方ではバスを乗り換えろって書いてあったが一向にほかのバス停が見つからない。
だから違法のタクシーが大量に止まっているのね。
しつこい勧誘にあいました。
とりあえず、交差点からは周口店という大きな門を発見。
こちらだろうと予想しそちらに向かって歩き始めました。
が、進めば進むほどどんどん道が狭くなっていき田舎の風景に。
さすがに道が違うのではないかと思い、現地の人に道を尋ねるとさらに進めと言われた。
進んで行き止まりになったので再び聞いたら今度は左にまっすぐ行き突き当りを右に曲がれだってさ。
言われたとおりに進んでいると、あれ、最初の交差点から伸びている大通りに出たよ。
最初から道を間違えていたのね。
その場所からは看板が見えたのでやっと到着することができました。
ここは世界遺産「北京原人化石出土の周口店遺跡」がある場所。
東アジア最大の旧石器時代の遺跡として発掘が始まり、猿と人類のちょうど中間の原人が発見された場所でもあります。
世界史の最初に習うアウストラロピテクスやジャワ原人とともに北京原人も習いましたよね。
その歴史の教科書に載っている場所こそこの周口店遺跡なのです。
1929年に北京原人の骸骨が見つかって以来、世界史を大きく変えました。
特に最大の発見は北京原人が火を使用しているということ。
遺跡からは焼けた石や灰の化石が出土しています。
これにより原人は道具を使い、火を操った高度な知能を持ったことが証明されたのです。
この世界史に多大な影響を与えた場所として世界遺産に登録されました。
周口店博物館に到着してからはまず展示場へ移動。
この地に出土された骨を鑑賞しました。
特に北京原人の骨が見て感動してしまった。
中学・高校時代日本の教科書で習った歴史がここから始まったと考えるだけで何とも言えない気分に。
歴史を勉強しているのではなく歴史を見ているんだと実感してました。
この博物館には北京原人だけでなくそこで食べた植物の種や動物の骨も発見されており、大量の骨が保存されてありました。
約70万年前のこの地では様々な物を狩猟し食物としていたのですね。
あと、北京原人の骨格からどのような顔をしていたかの銅像があった。
やっぱり猿に近いかなって思ってしまいました。
にしても日本語を話しているツアーの人がいた。
こんな場所までくるのね。。
そして博物館を後にしてその周辺に残る採掘場へ行くことにしました。
すべて歩いて10分以内で回れる距離にあるため、そんなに苦労はしないと思います。
特に驚いたのは最初に北京原人発掘した場所。
高さ15mはあろうかという崖がそびえたっています。
ここで彼らは生活していたんだなと想像するだけでもものすごく楽しい。
近くには雨や風をよける洞窟もありその中は結構広い。
昼間だって言うのにものすごく暗かったのでここで火をたいたのではないかと思います。
ここから見る風景は山に囲まれており、緑が生い茂っていました。
北京原人はこの山で狩りをしてこの風景を見て生活していたのですね。
歴史の足跡を見て感じる。
今回は非常にそう思わせる場所でした。
ただし、見どころは非常に少ないです。
どんなにじっくり見たとしても2時間以内には見終わってしまう。
なのでお昼には完全に見終わってしまいました。
このためお昼を食べに近くの食堂へ。
注文してびっくりしたのが餃子を頼んだら推定60個ぐらいの水餃子が出てくるではないか。
よかった、2人で注文して。
絶対一人だったら食べられなかったよ。
それでもまだ時間があったので一度北京に戻り、今度は日中戦争の博物館に行くことにしました。
南京にもあったのですがそちらは閉館日に行ってしまったので断念しました。
ここには日本軍がどんなに間違ったことを行ったかとか、中国はどのように交戦したかとかを知れるいい場所でした。
日本ではこんな歴史絶対教えないからね。
やっぱり日本軍はとてもひどいことをしてきたのですね。
たぶん中国側の誇張した歴史の教えだと思うのですが、どちらの意見もとても重要ですからね。
最後にはやはり現在の日本と中国の関係の良好さを示すものが飾られていました。
小泉首相の中国訪問の様子とか。
戦争を忘れるなとは言いません、しかし私たちは戦争を知らない時代に生まれてきました。
だからこそともに憎しみもなく手を取り合って進めるのではないかと思っています。
日中戦争博物館の後は隣にある橋を見に。
名前忘れてしまいましたが。。。。
日中戦争の始まりの場所で、ここで一発の銃弾から一斉に砲撃が始まった場所です
城壁には今も生々しく銃弾の跡が残っているらしいのですが、見つかりませんでした。
ちなみにこの橋渡らなくてもいいかも。。
なんせすごく高い割に特に橋の上しか行けないから写真が撮りずらい。
これに300円も払う必要が見当たりません。
というわけで、これで宿に戻ってきました。
夕食も安いところを見つけることが出来、大満足。
夕食後は宿で日記。
あとアルコールを少々。
なんせ、明日は一度北京を離れて瀋陽に夜行列車で向かいます。
昼間は暇なので天壇でも見に行ってこようかな。
明日は大変な日になりそうです。
周口店遺跡博物館アクセス
北京の前門の約2km南、天橋バスターミナルがある交差点の南側から917番のバスに乗り込む。
バスの標識に周口店街口と書かれてあることを確認すること。(ほかに917番の乗り場がたくさんあるが行き先が違うので注意)
約1時間20分ぐらいで周口店街口に到着。
その後、到着した交差点をひたすら西へ30分ぐらい歩く。(交差点のところに大きな周口店と書かれた門があるがそちらに行くと道に迷う)
途中、看板があるのでそれに従うと目的地に到着します。
もしよろしければクリックしてください。

世界遺産のことを皆に知ってもらう為によろしくお願いします。