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 【中国の世界遺産

世界遺産「古代高句麗王国の首都と古墳群」
2007.09.16
 
2007年9月16日    43日目 


紀元前1世紀に統一していた王国高句麗。

その支配は7世紀まで続くという長きにわたった王国。

失われた文化が今の時代に伝えるもの


やっと、気づいた。

最近よく眠れないって思っていたんだけど、それは布団が薄くて寒くて起きてしまうからだ。

本日の宿は確かに布団薄かったのですが、ダブルの部屋なので毛布が二つある。

二重で寝たらすごくぐっすり眠れた。

早く観光しなきゃいけないのに。。

とりあえず、布団から飛び起きて宿を後にしました。

向かった先は世界遺産「古代高句麗王国の首都と古墳群」です。

紀元前1世紀に北朝鮮から満州あたりを統一していた王国高句麗。

その支配は7世紀まで続くという長きにわたった王国。

特にすごいのは一時、朝鮮半島全土を統一。

隋や唐の攻撃にも耐え続け朝鮮の北の地方において存在感を示していたのであった。

そんな古代高句麗の王都が現在3ヶ所に残る。

「五女山城」「丸都山城」「国内城」である。

またその周辺に王の墓がいたるところに残されている。

王の墓の中には壁画が残されており高句麗王国の文化を現在に残すものとしてとても価値が高い。

失われた文化が今の時代に伝えるものとして世界遺産に登録されました。

本当はこの世界遺産は北朝鮮との共同の世界遺産になる予定でした。

しかし、北朝鮮は国が安定していないため別々で登録。

北朝鮮には「高句麗の古墳群」として世界遺産に登録されました。

最初に向かったのは好太王碑。

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宿から歩くこと。。。。。。。

近いと思ったら遠かった。

1時間ぐらいかかってしまったよ。

この場所は一本の石碑が建っておりそこには隙間なく文字が彫りこまれています。

それは当時の歴史を描いたもの。

中には倭国の記載がある、日本とも深い関係をもった場所です。

石碑の周りには雨風をしのぐ建物が建てられておりました。

ただし、写真禁止だったので外からこっそりとりました。

それにしても石碑には漢字がびっちりと彫られています。

ただ長年の風化により文字が薄く読みにくい。

過去の歴史を現代へと物語る石碑。

それをじっくり見ることができてとても大満足です。

この石碑の隣には太王陵という崩れかけた王の陵墓があります。

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それにしても崩れかけがすごくてもとの形がどのようだったかわからない。

ただ、陵墓の上にあがれて中の埋葬している棺の蓋が見られるようになっていました。

これだけ崩れても王の墓はしっかり守られていたのですね。

ちなみに後ろに見える山は北朝鮮ですから!!

そしてその後は将軍墳という場所に行きました。

ここはいまだに誰の陵墓か分かっていないのですが、王の陵墓として完全な形で残っております。

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形はまさしくピラミッド型で青い空にそびえたっています。

陵墓の周りには巨大な石が各辺3つずつ並べられておりこの地方独特の様式のようです。

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この陵墓の上にも登れてしっかりと王の墓が確認できました。

さらにこの陵墓の上から眺める景色は集安の街を一望でき、北朝鮮もよく見渡せます。

もともとは高句麗という同じ国だったのですが。

青い空に映えたピラミッド状の陵墓。

何とも幻想的な雰囲気でした。

で、その後は一度街に戻ろうとしたんだけどさすがに遠かったのでバスを使うことに。

地●の歩き方には45分間隔で運行されていますって書かれていたけど。

ちなみに1時間待っても来やしない。

なので断念して歩いて帰ることに。

歩くこと20分偶然街に向かう違うバスを発見。

助かった~。

ここから1時間歩くのは少しきつすぎる。

ようやく街に戻ってから食事と明日のバスの予約を。

それが終ったところで次の丸都山城へ向かいました。

こちらは町から歩いて45分ぐらい。

本日は歩きすぎです。

だって、バスが通ってないから。。

ようやく到着。

この丸都山城は昨日の国内城とともに高句麗の首都だった場所です。

丸都山城はもともと都の避難場所として作られましたが王国の危機の際の臨時の首都となった場所です。

このため、敵から守るように地形をうまく利用して作られている王都。

ほとんどの方向が山に囲まれ侵入できる場所は2ヶ所しかなく、それも川が横切っていてまさに天然の要塞です。

山を越えようとするといたるところに崖が存在してまさに侵入者を寄せ付けません。

それがこの場所から一望することができます。

残念なことにここには一部の城壁と見張り台、王宮跡しか残っておりません。

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王宮跡には礎石が残るばかり。

しかしこの王宮跡から眺める景色は最高です。

山に川にと絶景が広がっている。

王はこの風景を眺めながら政治を執り行っていたのでしょう。

確かにこの場所からなら敵の位置がすごくよく見える。

特に2方向だけに注意すればいいんですからね。

あと、この丸都山城の横には王の陵墓がたくさん並んでいます。

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見渡す限り陵墓。

あまりにもたくさんありすぎてびっくりしました。

中には先ほどの将軍墳と同じピラミッド型をしているのもありましたが特に驚いたのは丸い山の形の陵墓。

これって韓国の慶州でみた陵墓と同じ形。

中国から韓国へと文化の伝達があった証拠です。

その姿を両方から眺めることができてとても感動的。

あいだには北朝鮮という国がありますが確実に中国と朝鮮半島はつながっていたのですね。

そして本日の観光は終了しました。

再び45分歩くのかと思って歩き始めたら親切にも送ってくれると言ってくれた。

最初はお金を請求されるのではないかとびくびくしていたのですが何事もなくおろしてくれた。

とてもうれしかったです。

それにしても何で途中、あんなに観光地を進めたんだろう。

その後はインターネット。

日本語が書けないから日記の更新はだいぶ後になってからだと思うけど。

それにしても集安の街すごく夜までうるさいんですけど。

毎日広場でコンサートですか。。

これも北朝鮮に向かってやっているのか?

あしたは、朝一番で瀋陽に戻ります。





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