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 【[雑学]アジア

世界遺産雑学60--特殊な世界遺産Vol.6--
2000.12.30
 
 世界遺産雑学60

特殊な世界遺産Vol.6
「土木建築、河川」

--高度な土木技術を伝えるもの--

毎年大氾濫を起こす河。
それは決まって夏と秋だけ。
そんな河に立ち向かった一人の人がいた。
彼はこの地に安定をもたらすべく灌漑システムを作り上げたのである。

青城山と都江堰の水利施設  中国

四川省、成都平原。
そこに流れる川「岷江」
下流には世界遺産「楽山大仏、峨眉山」が存在し、そして長江に流れ込む川である。
中国でも有名な川の一つ。
この岷江の上流にある世界遺産こそ青城山と都江堰である。

青城山は道教の聖地の一つ。
それは道教の源流となっている五斗米道の発祥の地であるためである。
後漢の時代、張陵が老子の啓示をうけて始まった宗教。
この五斗米道と呼ばれるには由縁があった。
信仰した者は寺から戸籍をもらえる代わりに米を五升(中国名では五斗)を収める事が義務づけられていたのである。
このため、米を五升納める道から五斗米道といわれるようになる。
しかし、五斗米道が崩壊する日がやってきた。
時代は三国時代。
当時、ここには五斗米道の張魯が宗教国家を開いていた。
しかし魏の曹操に攻められ、信者たちは洛陽に強制移住させられたのである。
こうして、宗教国家は崩壊したのである。
その後、この青城山は道教が色濃く残った四川の人々の手により守られたのである。
いまでは青城山で数多くの寺が残っている。

もう一つの世界遺産が都江堰。
この場所は岷山山脈から集まる水が合流して岷江として流れる場所。
しかもこの一帯はV字型をしており、流速は秒速6~7メートルに達するのである。
このため、水量が多くなる夏・秋にかけて成都平原に大氾濫を引き起こした。
これに困った王は一人の人に命ずる。
秦の始皇帝の曾祖父昭王が秦の李冰へと建設を指示したのである。

それは大工事であった。
まず、岷江を2つに分断する事から始まった。
分水提が築かれ内江と外江に分けられた。
水の比率が4:6という非常に良く出来た分水堤。
外江はそのまま岷江につなぎ、内江は成都平原に4つの人口の河を作りそれにつなげたのである。
またもし氾濫しても成都平原に流れ込まないようなシステムも考えられた。
それは内江の水量が増量して4つの河に流れ込もうとすると、1段高く作られた水路に水が入り込み強引に外江に水を戻すのである。
これにより成都平原には平和が訪れた。
しかも、平原に水路が作られた事により土地はいっそう良くなり安定的に収穫できたのである。

以後、数々の歴史書に載ることとなる都江堰。
司馬遷の史記や後漢の記録書などにも。
その中で東晋の時代常璩の書いた「華陽国志」には
時に荒年なく、天下これを天府と謂う
とたたえているのである。
しかし、幾度も改築・拡張されているため何処までが秦の李冰が建てたかは分かっていない。
検証する方法が無いのである。

そして、今この世界遺産は危機が訪れている
ダムの建設である。
まだ計画段階であるため危機遺産には登録されていない。
しかし、存亡の危機に瀕しているのである。



青城山と都江堰の水利施設は紀元前に始まった水利灌漑施設であり灌漑施設に影響を与え、また道教の聖地の一つである事から2000年世界遺産に登録された。
人が水の猛威に立ち向かった証でもある。



今回も特殊ですね。
川の水を分断する世界遺産です。
しかも紀元前!!!!
中国ってホント凄い。