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 【ブルガリアの世界遺産

世界遺産「スヴェシュタリのトラキア人の古墳」
2008.11.13
 
2008年11月13日    391日目


謎の民族トラキア人

彼らは一時期バルカン半島をおさめた勇敢な民族だった

ここは彼らのお墓の跡


やっぱり眠いです。

起きたのは5時。

何しろ6時半発のバスに乗らなければならないので。

本日向かうシスペリフという街はいろいろ調べた結果アクセスがものすごく悪く。

午前中に着くにはシリストラからこの便に乗るしかないのです。

ということで暗い中を出発しました。

しかもよりによって雨降っているし。

ちょっと憂鬱になりますよ。

さて20分歩いてバスターミナルへ到着。

すぐにチケットを買おうとしたらバスの中で買ってくれと言われるではないですか。

そんな時もあるなと思い6時半まで待っていました。

が、大量のバスに、、どれに乗っていいのか。

とりあえず、近距離を移動しそうなバスへ聞いて回りました。

すると、、、なんと結構長距離を走りそうな豪華バスがイスペリフにいくとのことで。

なぜ?と思いましたがどうやら長距離の移動するバスで途中にイスペリフによるらしく。

早速料金を払ってバスに乗ることができました。

バスが出発してからは眠いのですが寝れず。

というか寝ちゃだめですよね。

たった2時間ぐらいの移動なのに。

気がついて起きた時にはとっくに通り過ぎていたなんてことがあるかも知れないので。

このため頑張って起きていましたよ。

そして到着。

、、、まだ8時ですけど。。。

ガイドブックによると9時半にならないとセンターがあかないということなので。

その前に本日の帰りの移動を探そうとしました。

でもシリストラ行きのバスは何と10時15分の一日一便。

だったら、列車の時間を調べればいいや。

ちょうどイスペリフからシリストラまでは列車がつながっているのです。

しかも運よく列車の駅がどの方向にあるかの看板があったので。

それに沿ってい行きました。

歩いて15分ぐらいでしょうか。

駅に到着して早速待合室に掲げてある時刻表を見てみました。

列車は10時と22時発しかない。。

これでは役に立たないよ。

観光終わってから何時間待たなければいけないんだ。

こうなったらバスでどこかの町を経由して帰るしかないですね。

ということで再びバスターミナルに戻りました。

が、周辺の地図を持っていない私はまったくもって時刻表を見ても役に立たない。

しかも話しても英語がさっぱりわからないので会話にならない。。

こうなったら観光戻ってきてシリストラを連発していれば戻る方法を教えてもらえるのではないか。

なんて適当なことを思ったので、早速世界遺産に向けて出発することにしました。

このイスペリフからは世界遺産まで公共機関がないのでタクシーを使用です。

ガイドブックに載っているブルガリア語をタクシーの人に見せて早速出発。

遺跡までは約10kmぐらいなのであっという間に到着です。

すると地平線が見える草原の中に小さな山が無数点在しているところに

これが世界遺産「スヴェシュタリのトラキア人の古墳」です。

謎の民族トラキア人

彼らは紀元前6世紀から後3世紀まで繁栄した民族

トラキア人の支配はバルカン半島のほかトルコの領土まで侵攻した時があったほどの強国。

そんな彼らは独特の宗教観を持っていた。

魂は不滅と考える思想により輪廻転生を信仰していた彼らにとって死とは新たな場所に移り住むための解放であり。

現実は通っては避けられぬものだという思想をもっていた。

これによりお墓はどちらかというと家という感じに作られたのである。

さらに家族は誰かがなくなると一緒に旅立たなければならず、夫が死ねば妻も一緒に殺された。

これによりトラキア人のお墓には必ず夫婦の遺体が一緒に埋葬されているのである。

そんなトラキア人の古墳が残るスヴェシュタリ。

ここはそんな夫婦の遺体やお墓が完全に残る場所。

さらに当時の彫刻や壁画が良好な状態で残っている。

ヘレニズム文化とトラキア文化が融合した貴重なもののために世界遺産に登録されました。

早速インフォメーションに行ってみると、説明までは10分待ってほしいとのことで。

この世界遺産は内部の遺跡を守るために説明員と一緒に回らなければいけないことが条件となっています。

このため先に古墳の周辺を見ることにしました。

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この場所にあるのは大きい古墳3つに、小さな古墳2つ。

入口正面には遺跡を保護するために扉が設置されています。

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古墳自体もすでに草に覆われており、草原の中にちょっとした丘があるようです。

ただし突然ぽっこりなっているのでとても不自然ですが。

さらに遠くを見るとまたいくつかの古墳がみてとれます。

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ここはトラキア人のお墓群があった場所なのですね。

周りには何も残されていない場所で、突然現れる古墳。

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なぜここに建設されたのか気になるところです。

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さて古墳の周りをまわったところで、インフォメーションに行って早速入場料を支払い。

トラキア人古墳の内部の観光です。

冬季ということもあり、観光客が一切いないので説明員と私でマンツーマン。

、、、、英語早すぎて聞き取れないです。

まあ、わかる部分と資料から私の中で勝手に解釈ですけど。

まずはじめにこのスヴェシュタリの全体像の地図を見せてもらえます。

驚くべきことにこの古墳はごく一部で。

ちょっと離れた所に大量の古墳と城壁が存在するそうです。

ただし解放していないとのことで見られないとのことでしたが。

解放してない近くの古墳ぐらいは見に行こうと思います。

さて早速周りの古墳の内部に入りました。

ただし写真は不可ということで。

文章で勘弁していただきたいですけど。

最初に入ったのは見た中で二番目に大きな古墳。

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横にはドーム型のトタン屋根があり雨風をしのげるようになっています。

その中には内部の入り口の扉が存在します。

見た目は二重の門で石の扉なのにしっかりと扉の彫刻が施されています。

ただしほとんどが崩れており、内部にも入れない状態になっています。

完成当初はここには切れない彫刻で施された遺跡があったのでしょうね。

続いては3番目に大きな遺跡。

ここは完全に古墳の横に小屋が建てられており。

内部に入ると小さな部屋が2つ存在します。

奥と手前に残る部屋は奥に人の骨、手前には家畜の骨が残されてあったそうです。

家畜の骨を残すとはまさしくこの古墳で何不自由なく過ごすために埋葬されたもの。

これはエジプトのピラミッドや王家の谷と通じるものがあります。

やはり彫刻部分はほとんど崩れていますが、一部壁に残された壁画が存在します。

それは朱色をしていてどことなく自然をモチーフとした証が。

これほどの技術が残っていたのはびっくりです。

でも確かにローマ帝国に滅ぼされたトラキア人ですから、ローマ帝国ぐらいの技術があってもいいのですよね。

そして一番大きな古墳はトラキア人の王が埋葬された墓とされています。

ここが一番厳重に保護されており、内部は完璧な空調で保管されています。

一番手前は博物館のようになっており、ここで出土したものが展示されており。

剣やつぼなど、どちらかといえば日本でも見られるような出土品があります。

しかしトラキア人のすごさはその内部にありました。

古墳の内部なのに、それはまるで一軒家のような広さの空間に建物も上がアーチ状の建物で周りにはたくさんの装飾がされております。

確かにこの建築は今まで見た中でも初めての文化です。

ちょっとギリシャの文明と混じっている気もしますが。

それにしても驚くべきことは内部の彫刻。

内部は3つの部屋に分かれており、廊下のような場所、家畜が埋葬されていた場所、王が埋葬されていた場所に分かれます。

特に王の埋葬されていたところには女性の彫刻が壁に沿って数体あり、全員が天井を支えるように手を天に向けています。

来ている服はどことなくギリシャに見られる服装でしょうか。

天井部には絵が描かれており、馬に乗って空の一点を眺めるといった情景。

古墳にこれだけの絵が描かれているとは。

日本でも飛鳥文化の古墳とか例えばですがキトラ古墳などに描かれている壁画も素晴らしいですけど。

こちらはそれにもまして古墳内部の建築や彫刻が素晴らしすぎます。

それにしてもやっぱり王の隣に王妃の遺体が埋葬されており。

それは剣で刺されて死亡していたことが分かっているそうです。

トラキア人は死をおそれず死後の世界も楽しく生きるために夫婦は寄り添って旅だつものだったのですね。

宗教観が変わると現在ではできないようなこともできてしまう。

これが歴史の歩んできた道です。

さてトラキア人の古墳の内部観光はこれで終了。

続いて周りの古墳を回ることに。

最後というか遊歩道で行けるのは4つだけの古墳で。

いちばん小さな古墳は高さにして70cmぐらいの高さの古墳。

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写真で撮ると山になっているのかどうかも確認できないぐらいです。

しかしそこにも石窟が存在していて。

小さいながらもそこに埋葬していたとわかるぐらいの大きさの空間は存在していました。

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古代の人にとっては墓とは別の世界に旅立つための重要なものだったのでしょうね。

日本の古代の古墳も全く同じですから。

埴輪がいい例ですよね。

さて、観光できるところは見終わりましたが遠くに見えた古墳があったのでその方面に行ってみると。

、、、、近づけない。。

いや、近づけますが畑の中に存在していて入るのが難しいです。

なるほど公開していないとここは全く見れないですね。

という訳で遠くから写真で。

さて午後に近づいてきて。

そろそろ帰りの時間も考えないと。

というかこの遺跡自体広大な場所にありますが。

ほとんど公開していないのです。

このためにインフォメーションでタクシーを呼んでもらい。

イスペリフの街に戻りました。

その最中にシリストラまで何キロという看板を見つけ同じ方向を向いて距離が手前の町を見つけ。

これはもしかして途中で止まった町の名前ではと思い必死にメモしました。

何しろ帰りは経由しないと帰れないのが分かっていますから。

バスターミナルに到着してからはすぐにシリストラ行きのバスがないかを確認して。

無いという顔をされたので早速さっきメモった町の名前を出してそこからシリストラといったら、時間を教えてくれました。

どうやらこの町が経由地で間違いないみたいです。。

が、、、なんと出発が3時間後。

この町ほとんどバスが出発してないから覚悟していたけど。

やることがないよ。。。

このため街を観光することにしましたが、、、ものの10分ぐらいで街の中心地についたみたいで。

やること本気で無くなってしまったよ。

しょうがないので待合室でずっと音楽を聞いていました。

ただひたすらと。。。

いつしか周りの人たちが私を見てきて。

、、、、、なんか人が集まってきたよ。

しかも恐る恐る私に話しかけてきて。

英語で話してこないのでさっぱり何を言っているかわからない。

ある一部の人がほんの少しの英語で会話してきて。

すると何十人の地元の人が集まってきた!!!!

完全に動物園状態。

そんなにアジア人珍しいの?

まあ異国語を話す私ですから珍しいのはわかりますが、私の一言でみんながいっせいに反応する。

ある意味恥ずかしい。

名前はと聞かれたら答えるとみんなが私の名前を連呼し始めるし。

、、、、、えっと怖いです。。。

それにしても宗教の話がはじまり、みんな手を合わせてお辞儀をしてきたので仏教徒とわかったみたい。

でもキリスト教と聞いたら違うといわれた。

みんなトルコ人だからムスリムみたいで。

ブルガリアに住んでいてもトルコ人とう自覚があるというのが素晴らしいというか。

自分たちの人種をしっかり持っているところがすごいなと。

それにしても私はこんな人数に囲まれたことないので。

正直困っていましたよ。

はあ、どこの国に行っても男は恋愛の話のジョークをするのが好きですね。

あいつお前が好きなんだよ、一緒に行けばなんて言ってくるし。

やっぱり人間はどこに行っても考えることは一緒なのです。

さてようやくインフォメーションで聞いた経由地先の町へバスの出発時間となり。

、、、、、って、あれ?

一向に来る気配がないんですけど。

周りの人に聞いたらあと1時間待たないと来ないよだって。。。。

マジっすか。

一時間もまだこの人たちの相手をしないといけないのかよ。。。

日本では問題ないですが、海外に入ると全く交流しない私です。

何しろだまされると旅が短くなるので極力人を避ける習性がついているみたいです。

ようやくバスが来た時には3時半。

4時間以上ここで待っていたさ。。

で出発。

経由地のドゥロボに到着してからすぐにシリストラ行きのバスに乗り換えました。

まあ、ここでも一時間町でしたけど何か。。

マイナーな世界遺産回るとこういうこともあるので大変です。

ようやくシリストラに到着したのは18時。

12時間のうち観光は2時間半ぐらいもしてないんですけど。

なんという効率の悪さでしょうかね。

宿に戻って夕食と日記を書いて本日は終了。

さて明日は休養と時間調整をするとしますか。



スヴェシュタリアクセス
最寄りのバスターミナルはイスペリフという街
しかしこの町事態が非常にアクセスが悪い。
シリストラのバスターミナルから6時半のバスで直通あり。
シューメンから直通のバスでは日帰りができない。
ただしラズグラド経由で行くと日帰りできる可能性がある。
イスペリフの町から遺跡までは9km離れているのでタクシーを使うこと。
問題は帰り。
遺跡からイスペリフの町へは遺跡内のセンターでタクシーを呼んでもらうこと。
しかし、このイスペリフはシューメンやシリストラへの直行便が午前の早い段階で終わってしまう。
このためシューメンへ行く場合はラズグラド、シリストラへ行く場合はドゥロボDulobo経由で帰るしか方法がない。
ちなみにイスペリフの街にホテルはほとんどないと思われる。
あと、列車は変な時間に発着するのであまり役に立たない。
冬季12月~3月は休業しているので注意。(遺跡の中は見れないが古墳は普通に見れる)




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