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 【[雑学]ヨーロッパ

世界遺産雑学62--特殊な世界遺産Vol.7--
2000.12.30
 
世界遺産雑学62

特殊な世界遺産Vol.7
「防衛学、建築学」

--水に囲まれる首都--

国を守るためには首都をどのように守ればよいのか
そう考えた国があった。
彼らは堅固な要塞を首都の周りに建てること決めた。
しかし、それは土や石を使うのではなく一見要塞にはならないものを使用したのである。
それは「水」の要塞。

アムステルダムの防衛線の要塞  オランダ王国

不思議な世界遺産が多いオランダ。
しかも、ほとんどの世界遺産が水と関係しているのである。
風車、干拓地、水揚げポンプ場
それは低地という立地条件からであった。
国土のほとんどが水面よりも低い位置にあるため古来より水との戦いでもある。
このため、オランダには水と戦った歴史の世界遺産が多い。
歴史上、オランダがいかに水に悩まされていたかを知る手がかりでもある。
しかし、そんなオランダにこの水を脅威を逆手に取った世界遺産がある。
それこそ水を使った要塞であった。

19世紀後半、オランダは水の脅威に加えあることを悩んでいた。
それは自国が大国に囲まれた国だということ。
ドイツ、フランスの狭間にあるという事実。
このため簡単に侵略されてしまう恐れがあったのである。
この問題をいかに解決する方法を模索していたオランダは一つの作戦を思いつく。
「水浸し作戦」である。
それは首都アムステルダムの周りを水浸しにして攻められないようにするものであった。

こうして1883年にアムステルダムの中心から半径15~20kmの位置で要塞の建設は始まった。
市街を環状に堤防を築き、45もの要塞を配置したのである。
有事の際に水門を開くと3日間かけて堤防の外側が3km~10kmにわたり大きな水溜りとなった。
しかもこの水溜りは計算されたものであった。
それは深さ0.5m~1mの深さの水溜りになること。
人が歩くには深く、船で進むには浅すぎる水深を計算して設計されているのである。
完成したのは37年後の1920年。
堤防の長さは135kmも達したのである。
もちろん堤防の中には農地や牧草地も作られた。
もし、敵から攻められたとしても約100万人が9ヶ月もの長い間暮らせるようにしたのである。

こうしてオランダの首都には135kmもの長さを持つ巨大な要塞が出現した。
しかも、普段水門を空けない限りは普通の堤防。
それが有事の際になると広大な水が張る要塞となるのである。
低地であるが故の水を使った要塞建築が生まれた瞬間でもあった。
実はこの水の要塞は一度しかも一部でしか使用された事が無い。
それは第二次世界大戦。ドイツの侵攻である。
しかし、時代は空軍の時代へと進化していった。
水の要塞が完全に使用される事は無くなってしまったのである。


アムステルダムにある防衛線の要塞はオランダの治水技術を応用した建造物として、またその後の要塞建築に影響を与えたとして1996年世界遺産に登録された。
水を使った壮大な防衛要塞であったが、完全に使用されなかった要塞でもあった。




オランダの世界遺産は今回で紹介終了です!!
ほとんどが特殊な世界遺産でした。
しかもすべて水です!!
世界遺産から学んだオランダはどうでしたでしょうか??
いかに水に悩んでいたかという事実が分かるのも世界遺産ならではの楽しみです。
ぜひぜひ、世界遺産に耳を傾けてみましょう!!
ちなみに前の内容とかぶっているのは今回から呼んだ人も楽しめるようにしたためです。