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 【[雑学]中南米

世界遺産雑学89--年老いた峰に残る奇跡の場所--
2000.12.30
 
世界遺産雑学89

--年老いた峰に残る奇跡の場所--


人を寄せ付けない断崖絶壁の尾根
やってくるのは空飛ぶコンドル
しかし、アンデス文明の遺構が残る
そこは「空中都市」

マチュピチュ  ペルー

ペルー南東部、クスコ
このクスコはインカ帝国の首都
インカ帝国は大航海時代がくるまで南米大陸では最強の帝国であった。
そんな中築かれたのがマチュピチュ
ここは標高2400mの尾根の中にある
誰もが近づけない陸の孤島
誰にも見つからなかった奇跡の遺跡

失われた黄金郷
スペインの歴史にこのような表記が残る
インカ帝国には黄金郷「ビルカバンバ」があった。
ビルカバンバはインカ帝国滅亡後、インカ人がスペインに反抗するために築かれた都市。
が、抵抗もむなしくスペイン軍の前に破られてしまう。
反抗したものはことごとく逮捕されビルカバンバは放棄された。
しかし、スペイン人がこのビルカバンバを捜した際に結局最後まで見つからなかった音である。
こうして黄金郷の伝説だけが残り数々の探検者が黄金郷を目指して辺境の地に赴いたのであった。

そんな中1911年にアメリカ人教師ハイラム・ビンガムがペルーの地にやってきた。
彼はケチャ語で年老いた峰という意味を持つマチュピチュへと挑戦したのである。
断崖絶壁の山、荒れ狂う河、一人歩けるのが精一杯の尾根などの過酷な自然へと足を進めていった。
そして彼は見事に空中都市マチュピチュを探し出したのである。
ようやくビルカバンバを発見したとハイラムは喜んだ。
しかし、ここから黄金は見つからなかった。
ここは黄金郷ではなくわずか100年で放棄された古代とした判明したのであった。

では、なぜこのような山の上に遺跡が建てられたのか。
実はいまだに分かっていない。
謎のままである。
それには理由があった。
インカ帝国は文字を持たない文明であったためだ。
何の資料も残っていないため研究者は推測の域でしか原因を特定出来ないのである。
現在の大きい説は2つ。
一つ目は宗教活動に従事した人達がその生涯を終える場所。
これはマチュピチュからたくさんの人骨が発見されたことが要因となっている。
それも女性だらけの人骨である。
173体中150人は女性という事実からだ。
二つ目として植物栽培の実験所という説だ。
実はインカ帝国とは植物の栽培に長けていた。
それは、インカ帝国の至る所に植物の栽培所が残っているためだ。
マチュピチュにも同様に段々畑がならび、近年の研究でそこからジャガイモやトウモロコシなどの種がたくさん発見された。
このため、高地でも安定した植物を得るための研究をしていたのではないかという説である。
しかし文字が無いため永久に分かることはない。

現在、インカ帝国の遺跡はほとんど残っていない。
完全となる遺跡はマチュピチュだけである。
これは植民地という名の破壊であった。
大航海時代のアメリカ大陸発見によって彼らの黄金を求めたピサロがインカ帝国にやってきた。
そして彼らは一つ残らず黄金を奪うためにすべてを破壊したのである。
唯一、誰も近づけないマチュピチュだけがスペイン人に見つかることも無く残ったのであった。


年老いた峰に残るマチュピチュの遺跡は1981年、インカの重要な手がかりでありインカ建築の最高傑作として世界文化遺産に、コンドルやアンデスイワドリなどの生息場所や自然の宝庫であるため世界自然遺産に登録された。
今では世界で一番訪れたい場所となっている。
驚異の景観が待っているのである。




みなさんが訪れてみたい場所の世界遺産でした。
マチュピチュとは年老いた峰って意味あるの知ってました?
僕は世界遺産を学ぶまで知らなかったです。
ここは必ず行きます!!
ここに行かない限りは日本に帰ってきません!!