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 【[雑学]中南米

世界遺産雑学133--カエルの丘に刻まれた富と蜂起--
2000.12.30
 
世界遺産雑学133

--カエルの丘に刻まれた富と蜂起--

ここはかつて荒れ果てた丘
それが今では大きな街が形成されている
富と権力がここで生み出された場所
「銀」の発見によって


グアナファトの歴史地区と鉱山  メキシコ

メキシコ中部、グアナファト州。
この州都である、グアナファトは標高2050mという高地に存在し四方を高い山に囲まれている。
また交通の便も必ずしもいいと言えない。
しかし、こんな高地にも関わらずこの州都はたくさんの家、たくさんの聖堂を要する巨大な都市。
こんな不便な場所に人が集まったのは理由があった
銀鉱山の発見である。
富と権力を得ようと様々な物がこの場所に集まったのであった。


グアナファト。
先住民の言葉で「カエルの丘」という意味のクワナシュアトを語源にする。
この場所は荒涼とした丘が続き誰も住まない不毛な土地であった。
しかし、こんな場所が一躍注目されるときが来た。
道路の建設である。
メキシコをスペイン人が征服してから各都市をつなぐ道路が建設されていた。
グアナファトはメキシコシティとサカテカスの大都市をつなぐ道路の建設が着工された場所であった。
そんな工事の中、この地で突然銀鉱脈が発見される。
その噂を聞きつけたスペイン人がこの地に集結し、不毛な台地は突如として大都市へと変貌するのであった。

グアナファトには銀が無尽蔵にあるといわれるほどの埋蔵量を誇っていた。
それは時に全世界の銀の25%にも達したのである。
新世界の銀鉱脈が枯渇していく中、ここだけは常に銀を産出し続けたのであった。
もちろん街には銀で儲けた富で様々な大聖堂や邸宅が建設される。
それはスペインで発達したバロック建築にイスラム的要素を加えられたチュリゲラ様式が用いられ、教会などを埋め尽くしたのである。
特にチュリゲラ様式は過剰な装飾をすることで有名で、サンタ・マリア・デ・グアナファト聖堂やコンパニーア聖堂の主祭壇などは一面金で装飾され、おびただしいほどの彫刻が広がる。
それはもう眼が痛いほどに大量に配置されているのである。

こうして無類の繁栄をしたグアナファトであったが、光があれば闇があるように、富があればそれを支える影があった。
それこそ、原住民やメスティソ(白人と原住民の混血)の重労働である。
銀鉱脈を掘るにはそれなりの労働力が必要。
スペイン人はそれを先住民などに求め過酷な労働をさせた。
しかも低い賃金で。
そんな不満が一気に噴き出る事件がこのグアナファトを襲った。
きっかけはキリストイエズス会のスペイン領退去命令である。
原住民にとってキリストは心の支えであった。
その宣教師が出て行ってしまうことにとても耐えられなかったのである。
また、宣教師も不当に扱われる原住民を助けたかった。
こうして1810年9月16日、グアナファト近郊で民衆が蜂起。
民衆を指揮したのが神父「ミゲル・イダルゴ・イ・コスティーリャ」
彼がスペインの植民地に異議を唱え、民衆を従えたのである。
メキシコ独立運動の始まりであった。

民衆は日に日にその数を増やし、グアナファトへ侵攻。
しかし、スペイン人と民衆では武器の質が違っていた。
民衆は弓程度の武器しか携えていなかったためである。
このため、数で劣るスペイン人でもすぐに陥落することはなく持ちこたえたのである。
しかし、民衆の一人が立てこもった場所の扉の爆破に成功。
こうなると数で有利な民衆がなだれ込みグアナファトを制圧。
そのまま、首都メキシコシティへ独立を求め足を進めたのであった。
が、彼らに待っていたものは敗北だった。
最新の武器を持った3万人ものスペイン人が一気に襲いかかったためである。
こうして指導者イダルゴは捕まり打ち首にさせられた。
そして10年間さらし首というひどい扱いまでさせられるのである。
しかし、メキシコは独立をけしてあきらめなかった。
そして最初の独立運動から11年後の1821年スペイン本土の内乱に乗じて独立を果たすのであった。
指導者イダルゴはメキシコの英雄としてメキシコ人の心の刻まれているのである。

現在、グアナファトでは銀は枯渇しかつてほどの繁栄はなくなってしまった。
しかし、メキシコの独立運動の最初の場所として、銀の繁栄の建物が残る場所として観光客が今でも絶えることはない。
また、メキシコ一の学生の街としてまた違った繁栄を見せているのである。


グアナファトに残る建造物や鉱山は世界を支えた銀の採掘場所として、メキシコの独立運動がおこった証として1988年世界遺産に登録された。
この場所はメキシコの動乱の歴史を見続けた場所であった。



ここには行ったことがあります。
グアナファトはすごく活気がありました。
ほんとにここで独立運動があったのって疑ってしまうぐらい。
学生だらけの街だからそれもありでしょう。
また、夜景もきれいでした。
丘の上から見る街は最高です!!