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 【[雑学]中南米

世界遺産雑学137--文字をもたない文明が作った地球のへそ--
2000.12.30
 
世界遺産雑学137

--文字をもたない文明が作った地球のへそ--

かつてこの場所には黄金都市が存在した
しかし、黄金は略奪され破壊されてしまう
今残るものは礎石のみ
帝国の繁栄は失われてしまったのである


クスコの市街   ペルー

ペルーの第二の都市、クスコ
ここは昔インカ帝国の都が存在した。
この場所はインカの聖地としてありとあらゆる繁栄がもたらされる。
また、インカのさまざまな技術がここに結集した。
すべては文字を使用しない人たちによって。
しかし、こんな繁栄した街が徹底的に破壊されてしまう。
インカ帝国は滅ぼされ、皇帝は処刑される事態まで発展。
その事実こそ「スペインの新大陸到達」


インカ帝国の歴史は15世紀にはじまる。
16世紀には現在のコロンビア南部からチリ北部までを支配下にした強大な帝国となる。
インカとはケチャ語で太陽の子を現し、人々は太陽を神聖なるものと考えた。
このため、皇帝は太陽の子とされすべての権限を皇帝が握っていたのである。
皇帝は神そのものであり、太陽の子は地面に足をつけると災いが起こるとされすべての移動は輿に乗り行われた。
人々は皇帝に畏敬の念を称し話しかける者はほとんどいなかったといわれる。
また、インカ文明は一切の文字を使用しなかったのが特徴。
言葉はあっても文字は存在しない。
一切の記録が残っていないのである。
彼らは紐の結び目を使用することにより数を数え、記録したのである。

そんな帝国の都が置かれたのがこのクスコ。
クスコとはケチャ語で「へそ」という意味。
まさしく、ここが宇宙の中心であるということからこの名前が付けられたのである。
皇帝が住むこのクスコは帝国の栄華をすべて結集された場所。
太陽の神へ豊穣を願うお祭りなどが毎月のように催され神の生贄として数万頭の家畜が献上されることもしばしば。
また、皇帝は即位するたびに新しい宮殿を建設。
歴代の皇帝の宮殿が立ち並んだのである。
その中でも、最もクスコに集められたものがある。
「黄金」である。
インカは黄金がその輝きから太陽の輝きと考え、太陽を信仰する彼らにとって欠かせないものとなったのである。
黄金は太陽がもたらした涙だと考えられていた。
こうして、帝国に存在したすべての黄金がクスコに終結。
宮殿の一室がすべて黄金を張り付けるなど、黄金があふれる状態であった。
特に圧巻だったのは太陽の神殿の南西の壁。
そこは約20cmの帯状の黄金が一面に連なっていたからである。
太陽の光を受け反射する黄金はまさしく神を見ていると同じであった。

しかし、こんな繁栄した強大な帝国があっという間に滅亡する運命をたどることになる。
それこそ「スペイン人」の帝国侵入である。
大航海時代が到来し最強艦隊を持っていたスペインはコロンブスの新大陸到達以来、中米・南米を植民地化していった。
最初は大西洋側だけであった植民地が次第に拡大。
とうとうインカ帝国がある大西洋側まで到達したのである。
スペイン人はクスコに黄金がありふれているという情報を得て、クスコにやってきたのである。
その時にやってきたスペイン人の指揮官が「フランシスコ・ピサロ」である。
彼は1532年にインカ帝国へ侵入すると一気にクスコまで到達。
翌年には皇帝に黄金をよこさないと帝国を滅ぼすという脅しを行っている。
インカ皇帝はスペイン人にはかなわないと悟ると地面に足をつけ、ピサロに会い黄金を差し出したのであった。
しかし、スペイン人は黄金が帝国にある一部だけではと疑いをもち、皇帝を処刑してしまう。
彼らは宮殿にあったすべての黄金や財産を略奪。
さらに宮殿には隠し部屋があり、そこに黄金が隠されているとの情報から宮殿すべてを破壊。
すべての黄金を奪っていったのである。
この時、帝国全体から奪われた黄金は6トンに及ぶといわれている。
こうして、インカ帝国は滅亡。
クスコにはインカの宮殿が一つも残されなかったのであった。

その後、スペイン人はインカの領土を植民地にすると聖堂の建設を始める。
そこはインカの宮殿があった場所で土台の石はそのまま利用したのである。
土台を利用したのにはわけがあった。
インカの石組が人の技術とは思えないほど正確なものだったためである。
石は平らに磨かれ、それを組み合わせて土台を完成した物。
剃刀の刃さえ通らないという精巧に組み合わされているのである。
が、驚くべきところはそこではない。
なぜならばインカには鉄が存在しなかったのである。
ということは、石を磨く道具や石を切る道具がもろかったことがわかる。
どのように切り出し・磨いたのか今となっては誰もわからない。
インカには記録という文字が存在していないため、ただ高度な技術が存在したという事実だけがここには残る。

こうして、土台の上に建てられた聖堂は完成。
インカの人々はカトリックへ改宗させられたのであった。
こうしてインカが滅び去った後インカの技術がいかにすごかったかを示す出来事が起こる。
1650年と1950年に襲った大地震。
スペイン人が建てた聖堂はほとんどが崩壊。
しかし、インカの土台だけは少しの損傷もなく悠然と残っていたのである。
どのようにしてこれほど高度な技術が発達したのか。
彼らは文字が無くどのようにしてここまで強大な国にすることができたのか。
現在も研究者たちが頭を悩ませているが永遠にわかることはないのである。
すべては謎のままで。


インカ帝国の首都クスコはスペイン植民地時代のバロック建築が立ち並ぶ場所として、インカ帝国のかつての姿を伝える貴重な遺産として1983年世界遺産に登録された。
すべてが破壊されたクスコには今、住民のインカの心だけが残っている。



この石組ありえない!!
ほんとにぴったりくっついているんですよ。
どうやったらこんなことができるのか。。
マチュピチュも謎が多いですが、こっちも謎だらけ。
そんな場所を一度歩いてみたいです。