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 【[雑学]中南米

世界遺産雑学145--ローマ遺跡と間違えられた新大陸の文明--
2000.12.30
 
世界遺産雑学145

--ローマ遺跡と間違えられた新大陸の文明--

見渡す限り広大な密林
高温多湿のジャングルの中に顔を覗かせる
ここは新大陸最大の遺跡
ローマ遺跡と勘違いされるほど発展した場所


ティカル国立公園   グアテマラ

中米、グアテマラ。
かつては新大陸としてスペイン人の植民地として発展した土地
その後は一時メキシコへ併合されるが、独立し現在は共和国として中米の主要な国として存在している。
こんなグアテマラ周辺にはかつて広大に繁栄した文明があった。
現在のメキシコ・ユカタン半島から、中米のホンジュラス一帯を支配した文明
「マヤ文明」
マヤ文明は1300年間君臨し続けた奇跡の文明。
その中でも最大の都市がティカル。
ここで最大の発展を手にするのであった。
しかし、マヤ文明は突如歴史から消えてしまう。
すべては謎のままで。


ティカル遺跡が発見されたのは18世紀末のこと。
密林の中に大量の石作りの塔が発見されたことにはじまる。
発見者はこの遺跡を見て驚いた。
たくさんの天に向かってそびえるピラミッドがたくさん存在していたからである。
周りには広大なジャングル。
この辺境の地においてあり得ない光景が広がっていたのであった。
あまりにも壮大な文明であったことと、新大陸でこれほどの文明が信じられなかったこともあり、
「この辺境の地までローマ文明は来ていたのか」
と間違われる始末であった。
それほどまでティカルの遺跡は古代ローマ帝国と同じぐらいの文明の証を示していたのである。

そんな説が信じられた19世紀半ばアメリカの冒険家がこの地を訪れることによってその説に反論が始まる。
彼はコパン、ティカル、ウシュマルなどを旅行した後、この地は先住民が作り上げた遺跡であると主張したのであった。
その後の調査により、ここは先住民が作り上げたマヤ文明であることが発覚。
そしてマヤ文明の歴史を紐解く出来事がやってくる。
「マヤ文字の解読」であった。
マヤ文字は数万にもわたる文字数があり、解読は大変とされてきた。
しかし、この文字には漢字のような部首の組み合わせでなっており法則性によって組み立てられることが判明。
一気にマヤ文字の解読が進んだのである。
こうしてすべての文字は解読されマヤ文明の歴史が明らかとなったのであった。

こうして解読されたマヤ文明は誕生するのが紀元前1000年頃。
彼らはアメリカ大陸の中でも高度な文字、高度な天文学を築きあげこの地に君臨したのである。
特に天文学では驚くべき正確さを持っていた。
望遠鏡もない時代に正確に一年が365日であることを知っていたのであった。
また、月、太陽、星の観察から日食や月食が起こることを事前に知ることができたのである。
現在と全く変わらない天文学をコンピューターもない時代から知っていたのであった。
また、生贄の習慣があったことも判明。
しかし、生贄になることは素晴らしいことで自ら率先してなったこともわかった。
特にマヤの遺跡には運動場のような場所が作られバスケットとサッカーを組み合わせたようなスポーツで勝敗を争い、勝ったものは生贄へと捧げられたのであった。
すべては自らの幸せのために。

また、ティカル遺跡の歴史も判明した。
ティカルは紀元前5世紀ごろから作られた建造物群でありその中で39代にもわたる王が君臨した。
広さは日本で言う淡路島ほどあり、3000以上もの遺跡が建立する。
特に発展したのは7世紀~9世紀であり、当時としては膨大な人口62000人が暮らしていた。
4号神殿においては高さ65mもあり、新大陸発見前のアメリカにおいて最大の建物。
1号神殿からは王の骨や装飾品など最盛期であった時代の遺構が発見された。
また各都市へとの交流や交易により栄え、灌漑農業も発展したのである。
幸せな時代の到来であったのであった。

しかし、こんな繁栄したティカルにも滅亡の時がやってくる。
分かっているのは西暦869年に滅亡したことだけ。
すべてのマヤの遺跡は10世紀からの歴史がすべての石碑から無くなっている。
ティカルも石碑11に刻まれている西暦869年の歴史を境に何の記録も書かれていない。
どうして滅亡したかはどの記録にも残っていないのである。
マヤ文明の遺跡にはその謎の痕跡は何もない。
疫病、戦争、自然災害など様々な説があるがすべては謎のまま。
彼らは一体どこへ行ったのか。
すべては彼らしか知らないのである。
その後、マヤ文明は歴史の表舞台から消えその遺跡はジャングルへ消えた。
密林の中へと。


マヤの文明は天文学において365日の周期とは別の天文周期をもっていた。
5128年周期で周る長期周期。
これは世界の滅亡と再生が行われる周期とされ、紀元前3114年から始まっている。
それを当てはめるとマヤ文明は2012年に世界は滅亡し再生すると予想している。
彼らはその眼で何を予想したのか。
マヤ文明の真意が2012年に解明する。
それは人類の滅亡かもしれない。



グアテマラにあるティカルの遺跡はマヤ文明最大の都市であり、中心的な存在であったことから文化遺産として、遺跡の周りにあるジャングルが年々伐採され保護の必要性があったため自然遺産として1979年複合の世界遺産として登録された。
文字を解読したマヤ文明であるが滅亡の謎はいまだに解けていない。



マヤ文明も不思議なこと多いんですよ。
それにしても2012年にほんとに世界は滅亡するのか。
彼らはその眼で何を見たんでしょうね。
もし滅んだとしていたら先見を見る力があったということ。
私たちは滅んでいて評価をすることはできませんが 。