TOP > ひさほゆうのリアルタイム世界遺産旅行ブログ

カテゴリー
ひさほゆうが独自の視点で世界遺産を解説!
最新コメント

 【[雑学]中南米

世界遺産雑学53--特殊な世界遺産vol.2-- 
2000.12.30
 
世界遺産雑学53

特殊な世界遺産vol.2 
「近代建築、都市設計」

--近代の首都--

政府は首都の移転を決定した。
その場所は荒れ果てた大草原。
こんな場所に近代の建物が建てられたのである。
ここは、現在のブラジルの首都

ブラジリア  ブラジル

1891年ブラジル政府は首都を移転する事を決定した。
これには大きな2つの理由があった。
一つは当時の首都、リオ・デ・ジャネイロの一極集中化。
現在の東京と同じで人口が密集、そこに立法、司法、行政の3つが集中していた。
国のすべてが一つの場所にあるという危険な状態。
これを防ぐために首都の移転が考えられた。
もう一つの理由は過去の遺恨から。
むかし、ブラジルはポルトガルの植民地であった。
このポルトガルがリオ・デ・ジャネイロを首都として定めたのである。
1889年に独立したブラジルにとって他国に決められた首都が辛かったのである。
このため、自国の首都を望んだのである。

しかし、資金難のため首都の建設は行われなかった。
首都名「ブラジリア」が決まった事以外は。。
時が流れて60年後、やっと首都移転の話が復活した。
それは新たなブラジル大統領が任命されたとき。
こうして1955年ブラジルの新しい首都の場所が発表された。
けれども驚いたのは当時の国民。
そこはブラジル内陸部、標高1200mの大草原の中だったのである。
そして、大統領はさらに首都遷都を推し進めた。
それは、5年という短い歳月。
60年もの計画が過ぎ去ってそこからわずか5年である。

こうしてブラジル遷都がきまって街の設計者が決められた。
それこそ近代建築にもっとも影響を与えた巨匠ル・コルヴィジェの2人の弟子。
ルシオ・コスタ
オスカー・ニーマイヤー
60人ものブラジル建築家の設計の中で選ばれたのである。

ルシオ・コスタは都市の形、総合的なプランを設計した。
それは「飛行機」
上空から見ると分かりやすいが、湖に沿って飛行機の形をしているのである。
機種・頭部分に立法、行政、司法の中枢
胴体部分には商業地、文化の中心地
翼部分にはホテルや住宅施設
が建てられた。
その中でも三権広場と呼ばれている国会議事堂、大統領府、最高裁判所に囲まれた広場が街の中心となっているのである。

オスカー・ニーマイヤーは各建物の建設者。
大聖堂、国会議事堂、大統領府などなど。
それは多くの曲線を多用した。
中でも特徴的なのが大聖堂。
イエス・キリストの冠をかたどった形状をしており、天井一面ステンドグラス。
白色と青色の神秘的な色が教会内を照らしているのである。

「机上のプランをそのまま実現化した唯一の近代都市」
そう呼ばれたブラジリアは20世紀の都市計画の成功例として1987年世界遺産に登録された。
それは完成後わずか27年後に世界遺産となったのである。
もっとも新しい世界遺産の一つ。
その後の都市建築に多大な影響を与えたのである。




まったく何も無かった土地に建てられた世界遺産です。
しかも新しい!!
建築、都市計画の世界遺産。
異色の世界遺産です~~。。