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 【韓国の世界遺産

世界遺産「石窟庵と仏国寺」
2007.08.02
 
2007年8月2日    13日目


仏の力で国を守る新羅王朝の歴史が詰まった場所

朝鮮から日本へと文化の伝達があったことを証明

ここはまさしく韓国の歴史の象徴の場所なのです。



本日も朝移動。

何んか旅をし始めてから朝早く起きるようになってしまった。

早寝早起き。

健康になりそうです。

そして向かったのは慶州。

ちなみに気をつけてもらいたいのが釜山から慶州に行く際の列車の乗り場は釜山駅ではなく、釜田駅ということを。

なので乗る人はすごく少ないです。

ということで3時間ぐらいで慶州に到着。

さっそく目的の宿を探してみると、、、また辞めてた。

3年前の地球の歩き方だってのに、そんなに韓国は宿のサイクル激しいのか?

今度はバスターミナル周辺の宿を探してみるとこちらはあった。

しかもオーナーさんは日本語が喋れた。

部屋も開いていたのですぐさまチェックイン。

速攻で観光を始めました。

そして辿り着いた場所こそ世界遺産「仏国寺」です。

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この慶州はかつての韓国を統一していた新羅王朝の都があった場所で、日本でいえば京都のような場所。

さまざまな遺跡が残されており、歴代の王の墓や城の跡、離宮などが残っているのです。

そっちも違う世界遺産として登録されているのですが、こちらの仏国寺と石窟庵は韓国でも最初の世界遺産として登録。

さしずめ、日本で言う古都奈良と法隆寺のような関係でしょうか。

そして仏国寺には当時の新羅の仏教観が鮮明に残っている場所として世界遺産に登録されています。

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それは石垣の下を俗界とし、伽藍の中を仏の世界とする思想観が存在し、それを継承するように作られているのです。

特に仏国寺では石垣の技術が発展しており、組み上げられている姿はまるで京都の清水寺の舞台の土台を思わせるかの様。

建物は屋根の天井部分は韓国独特の緑の彩色が施してあってとても鮮やかです。

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大雄殿には二つの石で作られた塔が並び、その姿はまるで法隆寺の塔と同じ配置。

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まさしく、朝鮮から日本へと文化の伝達があったことを証明しています。

ここはまさしく韓国の歴史の象徴の場所なのです。

やはり素晴らしいですね。

ほんとに日本と同じ構造を示すところがたくさんあって見ていて楽しいです。

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日本と韓国の歴史を味わっている感じがしてとてもよかったです。

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それにしても韓国も世界遺産に登録されると人が来るのか。。

めっちゃ観光客多い。

それにしても韓国も夏休みで子供が多い。

今日平日なのに、親もたくさんいて仕事は?って感じでした。

その後は仏国寺とともに世界遺産に登録された「石窟庵」へ

と思ったら、バスが一時間に一本。

しかも5分前に出発してるじゃん。

55分の待ちぼうけ。

炎天下の中の待ちはつらいですね。

やっとバスに乗り、到着してみると車の山。

観光客めちゃ多い。。

それも気にせずに石窟庵へ。

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ここは仏国寺と同時期に作られた石窟。

インドや中国の石窟とは違い、山の斜面の土を削りそこへ石を並べて石窟としている世界的にも珍しい場所。

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手前の前室と仏を安置している主室に分かれており主室には天界を現すドーム型となっています。

周りの壁には仏が掘りこまれてあり、その中で神々しい光を放す菩薩像が安置されています。

ここはまさしく仏の力で国を守る新羅王朝の歴史が詰まった場所なのです。

あ~、仏がいることを信じそうです。

何とも荘厳な雰囲気があり、中心にいる仏が今にもしゃべりかけてきそう。

意外にせまい感じはありますが、ここが韓国の聖地というのもうなずけます。

仏の視線の先には吐含山からの風景が見えるように設計しており、仏はここで何を見たのでしょうか。

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写真はNGだったので見せることができませんでしたが、ぜひ一度行ってみては?

そして再びバスで慶州の街へ。

今度は世界遺産「慶州の歴史地区」へ

最初は、新羅の遺産が残る博物館へ行きました。

やっぱりにほんと日本と似ています。

発掘されているものがどことなく日本でも見た感じがあるので。

しかし、日本語・英語表記がないので何に使われていたかはさっぱり。

何となく見てかえってきました。

それにしても一番興味がわいたのは碁が発掘されていたこと。

昔の時代から碁はあったのですね。

そして、今度は歩いて「雁鴨池」へ

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こちらは新羅王国の庭園として造られた場所。

周辺には蓮の花で満たされた池があり、もう少しで見ごろになる予定。

庭園内は池の周辺には王がくつろぐための建物が配してあります。

どちらかというと中国庭園と日本庭園のちょうど中間のような感じで水の流れを感じるような場所もあります。

日本のような池の周りをぐるっと一周回るように作られていますがそれは観光用に作られただけであって、ただ一か所から見る庭園のようです。

建物内には一か所入れるところがあって、ここから王さまが風景を楽しんだ場所なんだと考え深く見てしまいました。

次に歩いて「半月城」に。

行ってみてわかったのですが、何も残っていない場所です。

本来ここは新羅王国のお城・宮殿があった場所です。

しかし、今では石氷庫という氷を貯蔵するための建物以外は残っていないのです。

見渡す限り、芝生と林。

何も残っていないのが残念です。

そしてその後は「鶏林」に。

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実はここ、韓国にとって歴史の深いところ。

新羅王朝において途中王は金氏につけ継がれるのだが、ここに金氏の開祖が生まれた場所とされる。

あるときこの場所でとてつもない光を放つ樹木があった。

その光に導かれるように第4代王が近づいてみると一羽の鶏と金の柩が置いてあった。

金の柩には男の赤ちゃんがいたと伝説は語っている。

その男の赤ちゃんこそ新羅王朝の王金氏。

金氏が王になった時にその出来事により国名を鶏林と名付けるが、新羅に変更されるのである。

韓国にとってこの場所はある意味聖地なのです。

といっても、松の林があるだけ。

宮殿も何も残っていません。

しかし、この場所から韓国の歴史の足音が聞こえてきそうです。

この時点で結構暑くてへばっていたのですが、次の場所が目の前だったので重い腰を上げて。

鶏林の近くにある「瞻星台」に。

ここは東洋で初めての天体観測所。

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組み上げた石の個数も旧暦の暦の一年である361個で組み上げられている所です。

下から上に行くにしたがって全体の直径が縮まるとても面白い建物で、どのように天体観測をしていたかは不明みたいです。

それにしてもユニークな建物です。

ちょっと歪んでいますが。

1000年以上も昔の人たちは天文を見つめて何を学んだのでしょうか?

そう思うとまた一段と不思議な場所に思えてきました。

で、ここまでで18時に。。

今日はほんとに疲れた。

もう、食事もめんどくさいのでマックに。

でも、ストローが出てこないぞ。。

あ、自分で取りに行けってことね。。

しかも、ケチャップ付きだし。

やはりマックも世界でいろいろと違いますね。

明日は慶州歴史地区の残りを回ります。

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仏国寺アクセス
慶州バスターミナル・慶州駅から10・11バスでブルクサまで。
観光客がたくさんおりますのでわかると思います。

石窟庵アクセス
仏国寺観光案内所前の道路向かい側のところからバスが走っています。
ただし1時間に一本。○時40分発です。

国立慶州博物館・半月城・雁鴨池・鶏林・瞻星台アクセス
慶州駅より徒歩20分。
慶州駅インフォメーションで地図をもらうと歩きやすいと思います。





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