インドシナを大胆に縦断する河川メコン。
チベット高原に源流を発するその大河は全長4,023 km、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを悠々と流れて南シナの大海に躍り出る。それらの国々の中でもメコンと接する面積の最も多いのがラオスである。
悠々と―。
メコンを表すには、この言葉がしっくりとくる。
大河メコンは、ラオス北部ミャンマーと接する地域で一度急流にはなるが、それから下流の大部分(シーパンドーン地域を除く)では、けしてあわてる様子がない。「我、メコンの流れなり」という風体で、堂々とゆるやかに流れていく。
その、ゆったりとした姿は、そこに住むラオス人の生活スタイルによく似ている。生物は、環境に適合することでその居住区域を得ることができるというが、ラオスの人たちもメコンの流れに適合して緩やかに生きてきたのかもしれない。
マジョリティーであるラオ族は、その昔、中国から南下してきた。
彼らがその地を選び「ランサーン」という王国を創ってからも多くの交易があり、また紛争をも経てきた。そして、大国たちの代理戦争の犠牲にもなった。その時代を体験したラオス人はこのように言う。
「もう二度と、争いで血を流したくはない」
紛争の結果、王政は廃止され、現在の社会主義国家が出来上がった。
住み始めた当時いつも思っていたことがある。この地の華僑はなぜこうも大人しいのだろうか、と。
僕にはこの不思議な現象が理解できなかった。それは僕たち部外者が単純に考えるように、戦争の過ちを犯したくないという思いや社会主義国家の抑圧からきているのだろうか、確信が持てなかった。
ある日、山積みになった仕事から逃れるように事務所を抜け出した。僕の両足は自然とメコンの河畔へと向いていった。アスファルトから地道へ、雑草の青々とした香りがほのかに漂っていた。そして、ブッシュを抜けると、コーヒー色のメコンに対面した。
だだっ広い空に鳥たちが曲線を描く。
下流の川岸では犬たちが泥にまみれながらじゃれあっている。
1キロ先の向こう岸はタイだった。対岸が近く、その風景は、けして雄大とは言えない。
迫力があるわけでもない。でも、メコンの河岸にある空気を吸い込むと、なぜだか落ち着く。
土と草木たちの匂い。悠々と続くラテライト(赤土の土壌)が溶け出したコーヒー色の流れ。
何もないのが良い、と言われるラオスが、目の前に広がっている。
何故、華僑たちが大人しくなるのか、その理由が分かったような、少し得した気分になった。
現代の僕たちは、自らが作り替えた環境という箱庭の中で暮らしていないだろうか。
合理性を追求して、人と会って目の前で話をする時間が削られ、建物という有形、人間関係という無形の壁を自ら作り出して、その環境に自らを押し込んでしまっていないか。そして、その環境に適合しようと「いたちごっこ」しているのではないだろうか。環境が人や人格を創っていたのは大昔の話だろう。私たちは、もう元には戻れないのだろうか?
何もないメコンの空気をすぅーっと吸ってみる。
空も草木も犬たちも、そこにいる全てのものが、母なる大河の生み出した子供のように見えてくる。
僕自身もその中に溶け込んでいるような気がしてくる。
ここに来ると、穏やかな心を取り戻せる。
カリカリする自分が恥ずかしく思える。
メコンの恩恵。
メコンに育てられた心が、僕の中にはあるのだろう。
それ以来、こっそりと仕事を抜け出しては、
「メコンの子供」になっている。
(執筆)2007年11月7日