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2010.09.12

 観光・見所

【コラム】世界遺産ルアンパバーン 通の歩き方① ヴィラ・シエンムアン

 王宮から大通りを少し北に歩いて、レンガ敷きの道を左にとると途端に静かな一角に入ります。このあたりは土地が低く、かつては湿地だったと考えられています。プーシーの山で受けた雨水が地下を通って染み出してくるのか、今でも湿気の多いところです。そのために家が建て込むことも無く、木々が多く残っていて町の中心部にありながら昔ながらの風情が残っています。飛行機の窓からもこの辺の緑が色濃く盛り上がっているのがよく見えます。


Villa Xieng Muang



 

 そこにとりわけ立派な木造高床式の民家が建っています。建てたのは王室付の高官だったThiane Thone(ティアン トーン)という人。1900年頃のことだといいます。広い敷地にルアンパバーンでは珍しく門を構え、裏には井戸、中央に建つ母屋の太い柱、当時斬新だったフランスの影響がうかがえる漆喰塗りの土壁、素焼きの瓦で葺いた屋根、妻壁には王家側近にのみ許されたという細かな彫刻が施された三個の換気口、華麗な軒飾り、萱や竹で屋根を葺いた姿は、当時の一般の家に比べたら格段の違いで、主の権力の強さと意気込みがよく伝わってきます。

 一方、内部はいたって保守的。仏間をかねた広間、廊下の片側に連続する小部屋、反対側には縁側という伝統的な間取りから一歩も外れていません。主人夫婦は広間に、子供たちは小部屋に、多くの使用人は廊下や床下に寝ていました。子供たちは広間に入ることが許されなかったと伝えられています。ともかく、この家屋はルアンパバーンだからこそ成立し得た、ラオ族の伝統建築が到達した傑作のひとつとして大変に価値が高いものです。



この建物も、家族がヴィエンチャンに移ったことで維持が難しくなり1990年代には荒廃した状態でした。“遺産の家”は二度にわたってこれを修理し、公共的な建物として再生させました。今ではヴィラ・シェンムアンと呼ばれ、写真や絵画の展示会、バシーや伝統舞踊のために使われています。三年前には観光で来た京都のあるお茶の師匠がこの建物を大変気に入り、濡れ縁を舞台に急遽お茶会を開いたことがありました。薄暮に流れる読経の声、振り仰げば椰子の葉陰に昇る月。ラオスと日本の文化の競演でした。この建物、催し物の無いときは見学客に自由に開放されています。どうぞ中に入って、ラオ建築の粋を味わってください。

【テイスト・オブ・ラオス9号掲載】

文/写真【かわぐち ゆうし】
2000年から2008年まで修復建築家としてルアンパバンの保存にたずさわる。