突然ですが、今回はルアンプラバンに潜む謎の話から始めましょう。
其の一。地図を見ていただけると一目瞭然なのですが、①旧王宮のホー・パバーン、②タット・チョムシー、③ヴィスン寺の本尊、④タット・ボソット⑤プーヴェーン(指輪の山)の5点がきれいに一直線状に並んでいます。①はパバーン仏を収める建物。②はご存知プーシー山の頂上にある仏塔。④はヴィスン寺のタット・マクモーを凌ぐ規模の大仏塔で、交通警察署の隣にある小山がその廃墟。⑤は空港から車で市街に入るとき橋を渡って最初の交差点のそばにある丘で、かつて仏塔がありました。
3つならまだしも、5点が一直線にのるのはどう考えても計画されたものとしか思えません。②と⑤が自然の山なので、これを基準にしてほかの3つを造ったのでしょう。でもどうして??。
其の二。1956年の航空写真を見ると④のタット・ボソットと交通警察署を囲んでギザギザに折れ曲がった直線が写っています。全体では星型の一部の感じで、二重になっています。土塁なのか壁なのか??。この場所は周囲より少し高くなっており、元々ワット・ウボソットという寺があったところですが、寺を囲むためにラオス人が考えたデザインとは到底思えません。また、ここに軍施設を置いたフランスも当時こんなものを造る必要は無かったのでは?。とすると、フランス植民地時代以前のものらしい。となれば、結び付けたくなるのは16世紀にポルトガルがあちこちの植民地に造った星形の城塞のこと。当時勢いのあったビルマの軍隊が、ポルトガル傭兵の手を借りて築いた出城だったのか?? んー、どうかなあ??。
この二つの例は、町の長い歴史のなかで土地に印された人間の営みのひとつに過ぎません。最盛期には65を数えたという寺院も今では半減しました。それでも、町のところどころに梢を伸ばす菩提樹の大木がかつての寺の位置を示しています。その昔村だった頃の様子が想像できるのは、フランスが大改造した際にもともとあった路を拡張して通りを整えたからです。70年前、中国やヴェトナムの商人のために盛んに建てられた大通りのショップハウスに、今また外国人が軒並み入って商売を初めました。ここ数年すごい勢いで新築されている多数のゲストハウスも百年ぐらい経った後には良いものだけが生き残り、21世紀始めの建築スタイルとして評価されていることでしょう。
こうしてみると町は生き物です。町にその命を吹き込み、育てたり殺したりするのは、もちろん私たちです。人間が欲に駆られたり自制したり、泣いたり笑ったり、その時々に勝手なことをして植え付けた町の記憶は、土地に刻まれたり、言い伝えとなってなかなか消えることはありません。そうして、私たちを映し出す鏡となって、住む人や訪れる人に語りかけてくるようです。
二つの謎を解く鍵は、じっと目と耳をこらしていれば自ずとこの町のどこかで見つかる気がします。みなさん、是非ともこの謎解きに挑んでみてはいかがでしょうか。
【テイスト・オブ・ラオス13号掲載】
文/写真【かわぐち ゆうし】
2000年から2008年まで修復建築家としてルアンパバンの保存にたずさわる。