これは、二人のラオス人青年が体験した悲劇のお話です。
ラオス南部サワンナケート出身のラッサミー(19歳男性)とブンクート(17歳女性)は、彼らが幼い頃に不発弾の爆発により手足を失いました。
首都ビエンチャンのフランス語センターで、二人の青年は、より多くのラオスの若者たちに知ってもらおうと、その危険性を訴えました。
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□ラッサミー(19歳男性)の話
若さ故の無知が自身の人生を粉々に砕いたと、彼は語りました。
彼が14歳の頃でした。財政的に問題のあった彼は、友達と一緒に不発弾を掘り起こして得られる鉄くずを売って、生計を立てていました。
ショベルを使い、地表から現れたボンビー(クラスター爆弾)をすくい上げた時、彼の人生の全てが変わったのです。
不発弾をすくい上げた後、泥を落とす為に軽く叩きました。その時爆弾が突然爆発し、想像を絶する痛みとともに地面に倒れ込みました。
彼は、片腕と、残った一本の腕の2本の指と、片方の目を失いました。
彼が好きだったセパタクローは、もう出来なくなってしまいました。
彼の失望は深く、自殺することも考えるようになりました。
家族の励ましで、なんとか思いとどまる事ができました。
彼が負傷した時、貧しい家族は2100万キープ(約2,500米ドル)もの医療費を払わなければならなくなりました。
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□ブンクート(17歳女性)の話
彼女と彼女の二人の姉妹は庭で料理をしながら、彼女たちが見つけたボンビー(クラスター爆弾)で遊んでいました。そこに危険性が孕んでいるとも知らずに。
爆発は、突然起こりました。
まず、彼女の妹が命を落としました。
もう一人の姉は、片腕を失いました。
彼女たちの母親は、医者が腕を切断しようとするのを拒んだたのでした。
彼女は学校に行かなくなりました。
以前の彼女は、友達たちとラオス舞踊を踊るの楽しみにしていました。
彼女は、友達たちが、恋人と楽しくでかけるのを見るにつれ、あの時の痛みを思い出します。
「私も友達たちと同じように、やりたいことをやりれる体が欲しい。そして、女の子なら誰もが思うように、彼氏も欲しいんです」と恥ずかしそうに語りました。
幸運にも彼女は、家事手伝い程度の作業ができます。
彼女は今、良い教育を受けてよりよい生活ができるよう夢見ています。
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二人の若者は政府に対し、不発弾による被害者がより良い健康管理と学校教育が受けられるよう、支援を求めています。
また国際機関に対しても、より多くの不発弾処理への基金を求めています。
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ラオスは、国民一人当たりに対し世界で最も多くの爆弾が落とされました。
米軍の爆撃機により、1964年から1973年にかけて、2億7千万発ものクラスター爆弾が投下されました。
UXO(不発弾)は、いまだラオスに悪影響を及ぼしています。
毎年、約300名の死傷者が出ています。そのうち15%は子供たちです。
6日ごとに一人の子どもが死傷している計算になります。
1996年の調査では、25%もの村落が影響を受けています。
貧困削減の面からも、不発弾の除去作業が、ラオスに必要とされているのです。
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クラスター爆弾に関しての参考サイト)