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2010.11.03

 観光・見所

タートルアン




その名前は、タート(仏塔)ルアン(共有の)を意味している。

★説明
石碑の記録には、「パ・ジェディー・ロカ・ジュラマニー」(世界の至宝)という名で登場する。

※塔の構成は三層で次のような意味がある。
一層目、人間界。
二層目、精霊界。
三層目、神仏の世界(一般立入禁止)。

中心の大仏塔を囲む小仏塔は30あり仏教の戒律が刻まれ、
ラオス語では「バラミー(=功徳ある人)、サームシップ(三十)タート(仏塔)」と呼ばれている。
30の戒律を守り功徳を積めば、仏陀(覚者)になれるという意味がある。

現在の一般入り口は西側に位置するが、その昔、正門は東側にあった。
現存する塔の大きさは、幅68mx69m、高さ45m。



★タートルアンの歴史

紀元前3世紀:
インドのアショーカ王(アショーカマハーラート)が仏僧4名をこの地に遣わし、四角い石柱を建てたという伝説が残る。

その後、ビエンチャンの初代統治者ブーリチャンが石造の小さな仏塔を建立した。

9~13世紀:クメール勢力の統治。石の建造物と池が建設された。

1566年:セタティラート王により現在と同規模の塔が建立。

以後1900年までタートルアンは5度の破壊に遭う。
①1574年、ビルマ軍の侵略。
②1826年、シャム侵略(一次)
③1828年、シャム侵略(二次)
④1876年、ホー族の侵略
⑤1896年、落雷直撃
※破壊の度に、市民により修復がなされたという。

1901年:フランス人建築士により西洋様式が取り入れられるが、ラオス人の不評を買い、建設中止。
1929-30年:ラオス様式で再建設が始まる。フランス人が塔内部の発掘を行い、小さな仏塔を発見した。「パ・タート・シー・タンマ・ハイソーク」は、大仏塔の中に埋まっている小塔のレプリカだと言われている。
1957年:塔が金色(通算3度目)に塗られる。

※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載