(シャム侵攻時に唯一残されたシーサケット寺院)
★ベトナム・ビルマ・タイ・ラオス・カンボジア インドシナ群雄割拠戦乱の時代
1353年 ファーグム王がランサーン建国(王都はルアンパバン)
1548年 セタティラート王子、ランナータイ王国の国王に
1550年 セタティラート王、ランサーン国王に就く(兼務) 同王、チェンマイからエメラルド仏を携え帰国
1560年 セタティラート王 ビエンチャンへ遷都
1563年 ランサーン王国、アユタヤ王朝と同盟関係を結ぶ
1565~66年 ホーパケオ、タートルアン建設
1570年 アユタヤがビルマに陥落セタティラート王、ビエンチャンを放棄
1574年 アユタヤに勝利したビルマがビエンチャンを攻略
1598年 アユタヤ再興 ランサーン王国もビルマから独立
1641〜42年 初めての欧州人がランサーン王国に到達
~同時代、スリニャヴォンサー王による黄金時代が築かれる~
★ランサーン王国分裂・シャムの属国に
1707〜13年 ランサーン王国がビエンチャン、ルアンパバン、チャンパサックの3国に分離
1778年 シャム(タイ)のタークシン王がラオスに侵攻 エメラルド仏、パバーン仏をタイへ持ち帰る
1782年 ラーマ一世、パバーン仏をビエンチャンに返還
1804年 アヌ王がビエンチャン統治をシャムから委任される
1826年 アヌ王がシャムからの独立のため挙兵(失敗)
1827年 シャム軍がビエンチャンの街を徹底的に破壊 街は焦土と化し、住民を奴隷として連れ帰る
1828年 アヌ王がシャム軍により逮捕 バンコクにて死亡
★ホー族襲来、仏領インドシナ編入
1867年 フランス人探検隊がルアンパバンに到達
1872年 ホー族(中国少数民族)の襲来
1893年 フランスーシャム条約締結 インドシナ連邦フランス領ラオスの成立
1907年 国際調停によりラオス国境が確定
(メコン川以東がラオス領となる)
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載