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2010.11.12

 観光・見所

アヌヴォン王(チャオ・アヌヴォン)



アヌヴォン王(以下、アヌ王と略)は、ランサーン王国がタイ属国時代にバンコクで教育を受けタイ国王ラーマ2世と親密な関係にあったが、同王死亡後、ランサーン王国の分離独立を夢見て失敗。敗戦の末、バンコクで晒し者になり獄死した。


ラオスでは英雄、タイでは反逆者として扱われている。



アヌヴォン王に関する年表

出生年度不詳:
1798-9年:チェンマイでビルマ軍と戦闘

1803年:チェンマイを攻略

1804年:ラーマ2世の信任を得て、ビエンチャンで王位に就く(ビエンチャン26代目王)

1807年:ビエンチャンで王宮建造
1808年:ナコンパノムで祝宴を開く。ノンカイでシーブンフアン寺院を建造

1812年:メコン川に橋をかける(おそらく乾季時)。サーンプアック寺院をシーチェンマイ(ビエンチャンの対岸)に建立

1816年:ホーパケオの改修工事

1818年:チャンパサック地方の叛乱を鎮める。(アーイサー・キアットンゴンの乱)

1820年:ラーマ2世、タイで庭園を造り、アヌ王招待される

1821年:アヌ王の子、ラーサブットヨー王子をチャンパサック王に任命

1824年:ワットセーン建造(ワット・サッタ・サッハッララーム=現シーサケット寺院のこと)
1825年:地震によりホーパバーン(パバーン仏安置所)が崩壊、タイ国王が死亡。不吉な事が相次ぐ

1826年:ビエンチャンの有力者を集め、密かにランサーン王国独立を協議。その年、ビエンチャンでは天変地異。台風、地震に襲われ、地盤亀裂まで起こったという

1827年:(ラオスの歴史書では)ナコーンラーチャシマー統治者不在の際に同地に出兵。統治者は降参しビエンチャンに同行するが、宴席を設け、謀略により軍人を酒で酔わせ、クーデター。アヌ王、シェンクアン地方に逃亡。ビエンチャン破壊される。(一般の説では)ナコーンラーチャシマー出兵後、敗退。ビエンチャンまで引き上げるも、シャム軍により町は徹底的に破壊される。シャム軍がビエンチャンに押し寄せ、アヌ王はシェンクアン地方に逃亡。プアン王の裏切りに遭い、逮捕

1828年:バンコクに連行され、8晩8日の辱めを受け死亡。再度ビエンチャンは徹底的に破壊される


(参考:「アヌヴォン王」ドゥアンサイ・ルアンパシー著)

※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載