
シーサケット寺院は、1818年、チャオ・アヌヴォン王(ビエンチャン王家最後の王)の命により建立された。
旧名は、「サタサハッサラーム」(意味はワットセーン=10万寺院)といい、現在はシーサケットと呼ばれるようになった。
旧王宮の北東に隣接し、旧城郭の内部に位置するシーサケット寺院は、ラオスの歴史の中でも重要な意味を持つ。
19世紀に入り隣国の侵攻が相次ぎ、1829年には、ビエンチャンの町並みは焦土と化される中、多くの寺院が破壊されるがタイ仏教美術(19世紀当時最先端の美術様式)を取り入れた為、唯一シャム軍の破壊に遭わなかった寺院である。
1924〜30年にかけて、修復工事が行われる。資金の多くは市民からの寄付で賄われ、当時の政府(フランス領インドシナ)が一部を支出した。工事はフランス人技師により進められている。
1924年からは、外国侵略で残された唯一の寺院として、仏教界の拠り所となり、現存する最古の寺院としてビエンチャ人の信仰を集める。
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載
旧名は、「サタサハッサラーム」(意味はワットセーン=10万寺院)といい、現在はシーサケットと呼ばれるようになった。
旧王宮の北東に隣接し、旧城郭の内部に位置するシーサケット寺院は、ラオスの歴史の中でも重要な意味を持つ。
19世紀に入り隣国の侵攻が相次ぎ、1829年には、ビエンチャンの町並みは焦土と化される中、多くの寺院が破壊されるがタイ仏教美術(19世紀当時最先端の美術様式)を取り入れた為、唯一シャム軍の破壊に遭わなかった寺院である。
1924〜30年にかけて、修復工事が行われる。資金の多くは市民からの寄付で賄われ、当時の政府(フランス領インドシナ)が一部を支出した。工事はフランス人技師により進められている。
1924年からは、外国侵略で残された唯一の寺院として、仏教界の拠り所となり、現存する最古の寺院としてビエンチャ人の信仰を集める。
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載