
誰の命により何年ごろ建設されたのか記録は残っていない。
だが、言い伝えによれば、12−13世紀頃、ヒンドゥー教を信奉していたコーム(チャム)族の聖地とされていた。
その当時、中央にはリンガ(シバ神の象徴、男根のシンボル)が奉納されており、16世紀ごろから衰えた同勢力に代わり、新勢力によって仏塔が建立され(現寺院裏手のレンガ造りの塔)、リンガはそのまま、街を建設する際に建立されるラックムアン(記念碑、シンボル)に取って代わったのではないかと言われている。
シームアンの名の由来。
新しい街を建設する時に当時欠かせなかった行事として、ラックムアンの建立と生贄儀式(馬一頭と人身御供)があった。この時、シーという妊婦が自ら人身御供となり、その役目を果し、ラックムアンが無事建立されることとなった。人々は彼女の勇気と行動を崇め、彼女を町の守り神に奉った。
シーのムアン(街)、それがこの地域(町)の名前となり、寺院の名前となった。
現在でも勇気ある妊婦シーの伝説にあやかって、シーのご加護を得ようと、安産祈願に訪れるカップルが多い。
だが、言い伝えによれば、12−13世紀頃、ヒンドゥー教を信奉していたコーム(チャム)族の聖地とされていた。
その当時、中央にはリンガ(シバ神の象徴、男根のシンボル)が奉納されており、16世紀ごろから衰えた同勢力に代わり、新勢力によって仏塔が建立され(現寺院裏手のレンガ造りの塔)、リンガはそのまま、街を建設する際に建立されるラックムアン(記念碑、シンボル)に取って代わったのではないかと言われている。
シームアンの名の由来。
新しい街を建設する時に当時欠かせなかった行事として、ラックムアンの建立と生贄儀式(馬一頭と人身御供)があった。この時、シーという妊婦が自ら人身御供となり、その役目を果し、ラックムアンが無事建立されることとなった。人々は彼女の勇気と行動を崇め、彼女を町の守り神に奉った。
シーのムアン(街)、それがこの地域(町)の名前となり、寺院の名前となった。
現在でも勇気ある妊婦シーの伝説にあやかって、シーのご加護を得ようと、安産祈願に訪れるカップルが多い。
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載