
ルアンパバーンからビエンチャンに遷都を行ったセタティラート王はタートルアンの前に鎮座している。
サイ・セタティラート王と呼ばれることもある。
1534年:ランサーン王国(ラオス)の王子としてセタティラート誕生(午年)。父は、ポティサラート王、母はランナータイ王家(チェンマイ)の王女
1548年:母の父・ランナータイ王が死去。セタティラートがランナータイ国の国王に即位。当時14歳であった
1550年:ランサーン国王(ポティサラート王)が死去。セタティラート王はルアン・プラバンに帰国。ランサーン王として即位。エメラルド仏をルアン・プラバンへ運ぶ。同王は、ランナータイ王とランサーン王を兼務。ランナータイ王国出身の王妃にランナータイ王国(チェンマイ)を治めさせるが、内紛が相次ぎ、幾度かチェンマイに出兵する
1560年:ビルマの脅威から逃れる為、首都をビィエンチャンへ遷都。エメラルド仏をビィエンチャンのワット・ホー・パケオへ移転
1563年:ビルマ対策としてアユタヤ王女と結婚。当時28歳。アユタヤと盟約
1564年:ランナータイ王国(チェンマイ)、ビルマの属国となる。ランサーン王国(ビィエンチャン)はビルマ撃退に成功
1555年:ホーパケオを建設
1566年:タートルアンを建設
1566年:タートルアンを建設
1570年:アユタヤー王朝、ビルマの属国になる。ビルマがビエンチャンを攻略。セタティラート王、対岸のノンカイ(タイ)へ脱出
1570年:セタティラート王、ノンカイで死去
1574年:ランサーン王国、ビルマの属国になる
(参考:「セタティラート王」 ドゥアンサイ・ルアンパシー著)
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載
※テイスト・オブ・ラオス2009年1~3月号 No.14より転載