2009.06.29

 イタリア[旅行記]

世界遺産「アグリジェントの遺跡地域」

2009年6月29日    594日目


シチリア島の南部にそびえる神殿

それは古代ギリシャの遺跡

地中海が見える丘に建てられた巨大な街


この町信じられない。

日曜日はゴーストタウンのように静まりかえっていたのに。

宿の近くは飲み屋街で。

まあうるさいのは当たり前なのですが。

一番うるさくなるのが夜の4時ってどういうことよ。

もうあけ方だよ。

おかげで同じ部屋の人ほとんど起きているっていうの。

びっくりするほどの騒音でほんとにつらかったです。

まあ一度起床しましたが、音楽を聴きながら寝れる人なので。

いや、むしろ音楽がないと眠れないようになっているので。

その後はイヤホンで周りの騒音を消して眠りにつきました。

でも起床は朝の6時半です。

体のあちこちが痛いのですが。

もう休みたくなるぐらいの脱力感があってほんとしんどいです。

でもマルタに行く日が確定しているのでそれに向かっていかなければいけないので。

がんばって起床して、宿を出発しました。

まずは駅に向かうのですが、それまでの間に朝食を買い込み。

食べながら駅に到着しました。

さっそくチケットを購入して、すぐさま列車に乗りましたよ。

意外にきれいな列車なのでかなり快適です。

しかもクーラーが付いているからそのまま睡眠でしたけど。

何よりあまり寝ていなかったので。

それにしても何回か目覚めたときにシチリアの景色を見ましたが。

平地ではなく丘陵が続いているのですね。

平らなところがほとんどないという印象です。

しかもあたりは一面何もない草原というか荒れ果てた土地という感じで。

まるでイタリアと思えない風景が広がっているのです。

景色を眺めているだけでもかなり面白いですよ。

こうして半分以上は寝ていたのであっという間に本日の目的地アグリジェントに到着しました。

が、ここでひとつ問題が。

なんとアグリジェントセントラル駅が改修中で、そのひとつ前のバッセ駅に到着してしまった。

こうなったら歩くしかないと思って1kmの道のりを歩きましたよ。

しかもやはり丘のような場所にアグリジェントがあり。

かなりの高低差に苦労しましたが。

途中にスーパーがあったので昼食を買い込んで。

ようやくアグリジェントの中心部に辿り着きました。

まずは帰りのバスの時間を調べて、駅に向かいそこからバスに乗りました。

アグリジェントはシチリア島の南部の海側にある巨大な丘の上に建設されており、そこから少し海に向かうと丘の途中に遺跡が存在するのです。

これこそ世界遺産「アグリジェントの遺跡地域」なのです。

古代ギリシア

それは紀元前6世紀辺りに地中海の覇権を手にした文明でした。

その権力はすごく、地中海に面する部分の領土を支配していたのです。

バルカン半島やイタリア半島、そしてシチリア島を占領していました。

彼らは支配した場所に植民都市を築き、自分たちの権力を見せつけるかの様に神殿や様々な遺跡を建設しました。

こうしてシチリア半島に建設された遺跡こそアグリジェントにある遺跡なのです。

シチリア半島の南の海にそびえる丘の中腹にその街は建設されたのです。

こうして紀元前580~前406年まで繁栄をつづけたのです。

しかし彼らにも衰退の時期がやってきました。

カルタゴの侵攻です。

カルタゴはフェニキア人が建てたチュニジアにある文明で。

彼らは地中海の覇権争いのためにシチリア島へ侵攻したのでした。

こうして街は滅亡。

そこから二千年もの間破壊されたギリシャ遺跡がこのアグリジェントに残されたのです。

中でもコンコルディア神殿は古代ギリシャ遺跡の中で最もその姿を奇麗に残す神殿として存在しています。

このような遺跡が残るアグリジェントの古代ローマ遺跡は当時のドーリス式の最高傑作を残す場所として世界遺産に登録されました。

バスを降りて最初に向かったのは州立考古学博物館です。

ここにはアグリジェントで見つかった数々の日用品から装飾品まで数多く展示されているのです。

まず博物館に入る前に目の前に広がる風景を見ていました。

すると海岸までの間にいくつかの遺跡が発見できます。

これこそがアグリジェントのメインの遺跡群。

森の斜面に幾つもの柱が確認できて、その姿はとても美しいですよ。

アグリジェントがこれほど広範囲に存在するというのも実感できますしね。

そしてさっそく博物館の中に入ってみました。

博物館はこの地で見つかった数々のローマ時代の生活用品が展示されていて。

一番多いものは絵が描かれている土器です。

ローマ時代は土器に独特な絵を描いており、それは当時の生活を示す貴重な資料になっています。

また土器でも何にしようしたかわからないものまでいろいろな物が。

小さい彫刻なんかも展示されてありますね。

その中でも一番驚くのが2階建ぐらいある彫刻が展示されているのですよ。

これが実際には神殿を支えていた柱というんだから驚きです。

風化によってほとんどが崩れていますが、人型とその巨大さは今でも伝わってくるようですよ。

それ以外にも大理石の彫刻など、古代ローマの人々がどのような生活を送ってきたのかがわかってきます。

博物館だけでもこれだけ楽しのは初めてかもしれないです。

博物館の次はヘレニズム期・ローマ期地区と呼ばれる街があった場所を見に行きました。

といっても博物館の横に存在しているのですが。

正直いうと中に入れないようになっていて、外から観光するしかなかったのですが。

そこには巨大な街が存在していたことがわかります。

道が碁盤目に分かれていて、当時の都市がどのようなものかわかる感じがしました

その後はひたすら南へ歩いて神殿が乱立する場所まで歩きましたよ。

高低差が少々厳しいですけどね。

こうしてようやく最初に見た神殿はジョーヴェ・オリンピコ神殿です。

中に入るとそこにはがれきの山が存在しました。

新d年といってもほとんどが崩壊しており、石組しか残されていない神殿。

しかし、少し中に入ると巨大な人型の柱が横たわっているのがわかります。

これは先ほど博物館で見たもののレプリカです。

当時はここにこれだけ巨大な神殿が建っていた証明にもなるのですよね。

柱がこの巨大な人の彫刻だったなんて。

当時の建物がどのぐらいの大きさだったか正直予想ができないです。

すごすぎる。

上に存在する街とこの石像を一緒にカメラに収めるとほんとにきれいな風景ですよね。

まあほとんどが崩れてしまっているのでどのような神殿かはさっぱりわからないですが。

このため隣のディオスクロイ神殿に向かいましたよ。

こちらもほとんどが瓦礫と化していましたが、一部だけ復元されており。

神殿の規模と柱の高さは完全にわかるようになっていました。

それにしてもなぜこんな場所にローマ遺跡を建てたのか不思議です。

今までは海の近くや山の上とかならみたことがあるのですが、海と山のちょうど中間の斜面にというのは初めてですよ。

なぜこのような場所に遺跡を作ったのか不思議でなりませんが。

ただし景色は最高です。

街を下から眺めるということもほとんどありませんからね。

遺跡の先に映る街がすごくいい感じに残されています。

それにしてもほんとに周りには膨大な瓦礫というか神殿で使用された石がたくさん残っており。

よくぞまあこれだけの石をこの場所に運んで建てたという印象です。

ほんとに信じられないぐらいの石が山のように積み上げられていますからね。

ここには素晴らしい街が存在したのでしょう。

こうして西側にはもう神殿がなくなったので。

続いては東側に向かいエルコレ神殿に向かいました。

この神殿もほとんどが崩れていますが、神殿の8本だけ柱が復元されているのです。

ここはほんとにがれきの山になっていて。

歩くのもちょっと大変な感じになっています。

まあそれほど大きくない神殿だけに、天井部分の石もすべてその場所に残っている感じで。

よくもまあこれだけ大きな石を上に積み上げたなと感動します。

こちらは一部だけが当時のように復元されており。

柱もあまり高くなくて、こじんまりした神殿だったとわかります。

当時の姿は見ることができませんが柱が青い空に伸びている姿もすごく素敵な場所ですね。

そしてその後はひたすら東に向かい。

って、ものすごく暑くて観光が辛い。

日影も少ないのでほんとに大変ですよ。

ここを観光するには注意が必要です。

途中で木の下で少し休憩してから再び歩き始めました。

続いてはコンコルディア神殿へ。

この神殿がアグリジェントの中で一番きれいに残されている神殿で。

天井部分はありませんが、ほぼ完全な形で残されていました。

高台に建つ、きれいなローマ神殿。

確かにいくつかの完全なローマ神殿は見てきましたが、これほどのロケーションに立って残っている神殿も初めてで。

その美しさに心奪われるようです。

ローマ神殿後にここをキリスト教の教会として使用していたためにこれほど良好に保存できたみたいです。

ただし内部に入れないのが残念でしたけど。

それでも一番の存在感があり、神殿と風景の組み合わせが最高です。

そして最後の神殿がジュノーネ・ラチニア神殿です。

こちらは完全ではありませんが柱も幾分か残されており。

こっちが一番高い所に建てられているためにその他の遺跡も見渡すことができて。

すごく景色がいいですよ。

ほんとに計画された街だったんだってことがわかりますよね。

斜面につくられた街、アグリジェント。

本日はこの素晴らしさを見ることができてよかった。

それにしても何でこんなに連続して神殿が並んでいるのか。

不思議な感じですよね。

こんなロケーションに5つも連続して神殿を建てるなんて。

昔はここは何かしらの聖地だったのかもしれないです。

またアグリジェントの遺跡周辺にも昔の遺跡が点在していて。

見るのが少々大変ですが。

見晴らしがすごくいいので歩くのも楽しいものです。

ぜひぜひここに訪れてみてはいかがでしょうか。

こうして観光が終わったのでパレルモ行きのバスに合わせて街に戻ることに。

最寄りのバス停でバスを待っていたのですが。

25分待ってもバスが来ない。

、、、、あれ、もうパレルモ行きのバスに間に合わないんですが。

こうなったら歩いてアグリジェントの街に戻ることにしました。

歩き始めて5分ぐらいで乗ろうと思っていたバスが通り過ぎました。

、、、、なんか泣けてきたかも。

しかも二台連続して。

ともにバス停の近くにいなかったので乗れるわけもなく。

結局汗をかきながら駅に戻ってきましたよ。

でもここはセントラル駅なので、さらに頑張って歩いてようやくバッセの駅に到着。

15時のバスは間に合いませんでしたが、15時35分発の列車には何とか間に合いました。

が、切符売り場がタバッキーで、さらに目的の列車がなぜかドアが開いてなくて乗るに苦労しました。

ただようやく列車に乗れて安心感からかそのまま睡眠してしまい。

気がついたらパレルモの近くにいました。

先ほどまでシチリア島の南の海を見ていたのに起床したら北の海に出ていましたよ。

そしてパレルモに到着して、とりあえず買い出しです。

夕食分を買い込みました。

昨日と同様の夕食ですが、駅の近くのミニスーパーで即席めんが買えたので。

日本と同じ食文化はほんとに助かります。

具材がないただの麺ですが、同じ味が食べられるというのは何とも嬉しいことです。

こうして宿に戻ってきてすぐさまシャワーを浴びて。

あとは夕食と日記を書いていました。

そしたら、同じ部屋に韓国人の人がいて。

なんとその方が日本語をしゃべれる人で、ずっと話していました。

彼は料理人の方でシチリア島で料理の勉強をしているみたいです。

今は夏の休暇に入ったらしく、パレルモに遊びに来ていて。

いろんな話を聞けました。

何より日本人は料理人としてすごいといってましたね。

シチリアのラグーナという街で日本人料理人が4人いるらしいのですが、そのうち2人はミシュランの星が付いているレストランとのことで。

なぜ日本人はそんなに料理がうまいのかと。

まあ、いろんな国を旅していても思うことは食事が単調なんですよね。

多彩な料理というのは日本と中国ぐらいです。

それ以外の国でもたくさんの料理があるのですが。

たとえば旅行者が同じ場所に1か月滞在してそこら辺のお店に食べに行ったとして毎日違う食事を食べれるのは日本と中国だけですよ。

他の国は絶対1か月もいればかぶってしまうので。

日本は店さえ変えれば簡単に多彩な食事が食べれますし。

あと中華料理はすべてが脂っこくて。

となるとそれ以外に精通しているのは日本料理だけですよ。

あ、厳密に日本料理というわけではなく、日本で簡単に食べられる料理という意味です。

たぶん世界で一番多彩な料理が食べられる国は日本ではないでしょうか。

それだけ日本は世界の食事を踏襲して自分の文化に合うようにするのが得意な国なので。

だからこそイタリアでもどの世界でも日本人がかなりの食に進出できるのではないでしょうか。

なにより国的に生魚を食べる文化も日本だけだったしね。

こうして会話が盛り上がってしまい。

夜のほんとに遅い時間まで起きてしまいました。

結局日記は書けず。

さて明日はパレルモを後にしてシチリア第二の都市に向かうとします。

そしてマルタ行きのチケットを購入しないとですね。


アグリジェントへのアクセス
シチリア半島のパレルモから列車が1~2時間に一便、バスが2時間に一便存在する。
列車は7時35分発、バスは8時発が都合がよい。
パレルモのバスの発着場所は駅を出て右後ろに進み左手に進む通りにバスが発着する。
アグリジェントへの遺跡はアグリジェント中心部から少し離れているために駅前から出ている1,2,3番のバスに乗ること
運転手にサン・ニコラ教会かエルコレ神殿で降ろしてもらうようにお願いすること
パレルモへ日帰りする場合バスが3時、4時半発。列車は14:18,15:35,16:14発がある。
カターニアからもバスが存在するが日帰りが非常に厳しい。