2009年7月17日 612日目
故郷を大事にする法王がいた
彼は一人の建築家に故郷の改築を命ずる
そして農業地に突然豪華な建造物がそびえたった。
あれ、、、
予想以上にぐっすり寝れました。
暑いかと思いましたがそうではなくてよかったですよ。
しかも気がついたら8時半過ぎていたのにはびっくりしました。
12時に寝ましたから寝過ぎという感じでもありますが。
でも本日のバスの出発時間は11時。
のんびりできるなと思っていたのですが、逆算してみると1時間半前に出発しないといけないことに気が付き。
9時半に出発しましたよ。
何しろ宿はシエナの駅から3kmぐらい離れていてしかもバスが30分に一本なんだよね。
下手したらぎりぎりになってしまうかも知れなかったので。
案の定バス停についたら20分待ちだったさ。
もうバスの時刻表をメモって、明日からはそんなことがないようにしましたけど。
そしてバスにのって駅に到着しました。
駅ではまずバスのチケットを購入。
面白いシステムですが、バスのチケットはバスの中では買えません。
近くのキオスクのような場所で買わないといけないのです。
駅のバス停では駅の中にある雑誌売り場で買うのが当たり前なのです。
もしマイナーな場所に行く場合、あらかじめ往復のチケットを購入しておかないと帰りのバスに乗れないことになります。
チケット売り場がない場所もありますからね。
さてようやくバスが到着して、一路南へ向かいました。
するとあたりは丘陵の農業地へ変貌していき。
丘が重なりあう場所で草原やブドウ畑が織りなす風景に出会うことができます。
この風景も世界遺産なのですよね。
実は本日行く場所は二つの世界遺産に登録されている場所で。
街が世界遺産であり、町の周りも世界遺産という特殊な場所なのです。
そして一時間後に辿り着いた場所こそ世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区」
ローマ教皇ピウス2世
彼が教皇に就任してから生まれ故郷の発展を望みます。
このため有名な建築家であったベルナルド・ロッセリーノにピエンツァの街の建築を依頼
彼は当時サンピエトロ大聖堂の再建を指揮した人物でもあったのです。
そしてこの地は目覚ましい変貌を遂げます。
それはルネサンス黄金期に生まれた完全なるルネサンス様式の街が姿を現したのです。
しかしこの街は教皇、建築家ともになくなってしまい未完に終わってしまいました。
それでもピエンツァの街はルネサンス建築の傑作として、そしてその後の建築家に影響を与えた場所として世界遺産に登録されました。
さっそく街に入ると細い道の中に建物がそびたつように存在し。
その中を進んで歩くことになります。
ヨーロッパってホントに不思議なんですが、これだけの巨大な土地があっても街は狭くて高い建物を建てるのですよね。
まあ侵略の歴史があるために街を外壁で覆い、そのために街は小さく高く建設されることになったのですが。
日本とは違って独特な雰囲気があるのが好きですね。
こうして街の中心地に行くと小さな広場が現れてきました。
ピウス二世広場と呼ばれていて、広場には王宮や大聖堂など周囲に公共施設がつくられています。
ほんとにここは周りに何もない田舎なんですよね。
それなのに、これだけの建物が乱立している姿には驚きを隠せません。
やはり法王の力はそれだけ強大だったということでしょうか。
そして広場に面しているピッコローミニ宮の内部に入りました。
まず内部に入ると中庭に誘われ、柱に支えられた宮殿が見えてきます。
今まで見る中庭ではものすごく質素なイメージがありますが。
文様も壁の色と同様淡い色をしており際立ってないんですよね。
さっそくチケットを買って二階部分にある宮内部に入りました。
ちなみに写真撮影禁止だったので、文章のみです。
まず見えてくるのがフットサル場ぐらいある広間でした。
壁は質素で暗いイメージがあります。
天井が木造で装飾もあまりなく、特に壁なんかはコンクリ色をしていて、唯一人の身長ぐらいの部分だけあたかも装飾があるようなだまし絵が描かれているぐらいでしたから。
調度品というものも少なく、ソファやテーブルぐらいしか置いてないんですよね。
その隣には政務室があり、当時の仕事の様子が見て取れます。
部屋には絵画のような絨毯が壁に掲げられていて、その他肖像画もいろいろ存在するのですよ。
さらに政務室の逆の部屋には音楽室があり。
一見すると本棚があり、音楽室に見えないのですがピアノがしっかりと置かれています。
中央にあるテーブルには周辺の地図が描かれていて、当時のここを支配していたピッコローミニ家の姿がわかるようです。
本棚の横には本棚に似せた隠し扉が存在し、その中には本棚とソファーが。
一人になりたいときにここに籠ったのでしょうかね。
そして回廊に出るとそこはいろんな肖像画がある場所でした。
何より回廊は壁はだまし絵が描かれているのですが、扉にも同様の絵が描かれていて。
あたかもそこに扉が存在しないようになっているのです。
しかも回廊にはしっかり見ないとわからないように幾つもの扉が存在します。
隠し扉にしては結構あるのでなぜこのような場所を作ったかは不明ですが。
さてその先にはバスケットコートぐらいの巨大な部屋で武器を展示した部屋が存在します。
当時の武器がいろいろ展示されていて、馬につけていた装備や人間が使用した武器があります。
槍と鎌をくっつけたものやフェンシングのような突きの剣など様々な武器が存在するのです。
そしてその先に進むとそこはオルチア渓谷を望むバルコニーが見えてきます。
下には宮の庭園があり、その先には一面農業地が存在するのです。
それは人が作り出した景観。
不思議な美しい景観がそこには残されています。
実はこれ先ほども言いましたが、自分がいる場所も世界遺産、その先の景観も別の世界遺産という特殊な場所なのです。
まさか同じ場所が世界遺産になるとは、しかも別の登録理由でなるとはだれもが思いませんよね。
ここだけは写真が撮れましたのでその風景を堪能してくださいね。
そして再び武器の展示してある部屋に戻り、さらに進むとそこにはたくさんの本が置いてある場所へ。
ここは図書室です。
といってもたくさんの本が置いてあるわけではなく、ピッコローミニ家で必要だった書籍が残されているのですが。
ほとんどが辞典のような巨大な書籍なために、まあ時点だったのではないかと思いますが。
すべてフランス語の本で私には何が書いてあるかさっぱりわかりませんがね。
ただすべての印象が質素という印象を持ってしまいます
装飾は最低限しかなく、部屋も薄暗い。
あまり権力がなかった家だったのかも知れませんね。
そしてツアーが終了して、庭園に出てみました。
庭園はそれほど大きいわけではないのですが、そこから見る景色が絶景ですね。
何しろそれもイタリアの芸術家を唸らせた風景なのですから。
ほんとに丘陵のすべてが開墾された場所は美しい場所に変化するものです。
こうしてピッコローミニ宮の観光が終了し、そのまま隣の大聖堂へ。
あまり巨大ではないですが、町の規模としてはかなり大きく。
内部は装飾もシンプルですが。
一番奥に細部まで彫刻された木の椅子が並んでいます。
特に聖書を置くための木の台が素晴らしいほどの美しさで。
木の彫刻でよくここまできれいに装飾ができるのかと感心してしまうほどでした。
そして大聖堂の裏手にある道を歩くと開けた風景が待っています。
渓谷の中に残る農業地
先ほども言ったように、2つの世界遺産を眺められる場所。
手前のピエンツァ、奥のオルチア。
まさにイタリアの中でも一番の風景がここに残っていますよ。
大聖堂の裏手の通りは街の端まで続いているので、ゆっくり歩いてこの景色を堪能するのがベストです。
そして町の端が来ると、、ってこの町すごくせまいのですね。
もう少し大きいのを予想していましたが。
歩いて10分もしないうちに端から端へ歩き終わるのです。
だからこそこじんまりしている街で建物があふれていて、今までとは違った風景がここにはあるのかも知れませんが。
こうして観光が終了して、というかもう一つの世界遺産を見るべく、隣の街に向かって歩くことにしました。
何より周りも世界遺産なので。
この世界遺産の説明は明日します。
そして少し歩くと開けた渓谷の中へと歩き始めました。
当たりは家がまばらにしかない農耕地に差し掛かり。
ほとんどが牧草地で小麦色に染まる丘陵へと姿を変えていきます。
すでに季節は夏なので牧草は刈り入れが終了しており、集めた牧草を丸くまとめてありました。
日本では見たことのない形なのでびっくり。
円柱を輪切りにした状態になっているので、どのようにあの形にしているか不思議なぐらいですが。
そんな風景の先には丘が乱立する丘陵の姿が存在し。
遠くには緑と山吹色の台地が広がっているのです。
なんででしょうか、このような風景を見ると心が和むのですが。
今までこのような風景を見たことがなかったために、なぜ心ひかれるのか定かではないですが。
ずっとこの風景を見ていてもいいと思えるぐらいなのです。
イタリアの芸術家が愛した場所
確かにこの風景を眺めているとその気持ちがわかってくるようです。
イタリアの芸術の中心でもあった場所がトスカーナにあったとは。
この風景は見て損はない場所です。
ただ言葉には言い表せないほどの風景ですから。
ぜひ写真で見てくださいね。
実はここで観光は終了なんです。
何よりバスの時間がびっくりするほど都合が悪い。
14時半のバスを逃すと18時で、もうかなりの夕方になってしまい。
なぜかピエンツァ方面のバスはシエナから行きは午後の便が多く、帰りは午前の便が多いという矛盾した交通網ですから。
逆だったらすごく観光がしやすいのに。
ということで、途中にあるバス停でバスに乗りました。
こうしてシエナまでもどってきたわけですが、宿までのバスがすごく都合が悪くて。
目の前にある建物に入るなんとスーパーがあったのでそこで買い出ししていました。
昨日牛乳を飲んで体調というか胃が痛くなくなったので。
牛乳を多く買い込んで。
ようやく宿に戻ってきましたよ。
宿に戻ってからはすぐに写真の整理をして。
時間になったので夕食を買い出しました。
夕食はピザですけどね。
内容物は小麦とトマトとチーズというメニューですけど、、まあさっきのスーパーでシーチキンを買っておいたので。
栄養を考えていますから。
海鮮を食べることは旅をしている限りあまりありませんから。
こうしてあとはひたすら日記を書いていました。
でも蚊の被害にあってすごくいらついていましたけどね。
あと暑いです。
正確には外は涼しいのですが部屋が暑い。
窓あけると蚊の被害にあうので開けられないのですよ
さて明日は本日見た世界遺産の別の場所を見に行くとしますか。
ピエンツァへのアクセス
シエナの鉄道駅から10時50分発ピエンツァ行きのバスがある。112番のバス
所要1時間
帰りは14時、14時半、18時がある。
切符はあらかじめ駅構内で往復分買っておくとよい
ただし日曜日は一便もなくなる。
故郷を大事にする法王がいた
彼は一人の建築家に故郷の改築を命ずる
そして農業地に突然豪華な建造物がそびえたった。
あれ、、、
予想以上にぐっすり寝れました。
暑いかと思いましたがそうではなくてよかったですよ。
しかも気がついたら8時半過ぎていたのにはびっくりしました。
12時に寝ましたから寝過ぎという感じでもありますが。
でも本日のバスの出発時間は11時。
のんびりできるなと思っていたのですが、逆算してみると1時間半前に出発しないといけないことに気が付き。
9時半に出発しましたよ。
何しろ宿はシエナの駅から3kmぐらい離れていてしかもバスが30分に一本なんだよね。
下手したらぎりぎりになってしまうかも知れなかったので。
案の定バス停についたら20分待ちだったさ。
もうバスの時刻表をメモって、明日からはそんなことがないようにしましたけど。
そしてバスにのって駅に到着しました。
駅ではまずバスのチケットを購入。
面白いシステムですが、バスのチケットはバスの中では買えません。
近くのキオスクのような場所で買わないといけないのです。
駅のバス停では駅の中にある雑誌売り場で買うのが当たり前なのです。
もしマイナーな場所に行く場合、あらかじめ往復のチケットを購入しておかないと帰りのバスに乗れないことになります。
チケット売り場がない場所もありますからね。
さてようやくバスが到着して、一路南へ向かいました。
するとあたりは丘陵の農業地へ変貌していき。
丘が重なりあう場所で草原やブドウ畑が織りなす風景に出会うことができます。
この風景も世界遺産なのですよね。
実は本日行く場所は二つの世界遺産に登録されている場所で。
街が世界遺産であり、町の周りも世界遺産という特殊な場所なのです。
そして一時間後に辿り着いた場所こそ世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区」
ローマ教皇ピウス2世
彼が教皇に就任してから生まれ故郷の発展を望みます。
このため有名な建築家であったベルナルド・ロッセリーノにピエンツァの街の建築を依頼
彼は当時サンピエトロ大聖堂の再建を指揮した人物でもあったのです。
そしてこの地は目覚ましい変貌を遂げます。
それはルネサンス黄金期に生まれた完全なるルネサンス様式の街が姿を現したのです。
しかしこの街は教皇、建築家ともになくなってしまい未完に終わってしまいました。
それでもピエンツァの街はルネサンス建築の傑作として、そしてその後の建築家に影響を与えた場所として世界遺産に登録されました。
さっそく街に入ると細い道の中に建物がそびたつように存在し。
その中を進んで歩くことになります。
ヨーロッパってホントに不思議なんですが、これだけの巨大な土地があっても街は狭くて高い建物を建てるのですよね。
まあ侵略の歴史があるために街を外壁で覆い、そのために街は小さく高く建設されることになったのですが。
日本とは違って独特な雰囲気があるのが好きですね。
こうして街の中心地に行くと小さな広場が現れてきました。
ピウス二世広場と呼ばれていて、広場には王宮や大聖堂など周囲に公共施設がつくられています。
ほんとにここは周りに何もない田舎なんですよね。
それなのに、これだけの建物が乱立している姿には驚きを隠せません。
やはり法王の力はそれだけ強大だったということでしょうか。
そして広場に面しているピッコローミニ宮の内部に入りました。
まず内部に入ると中庭に誘われ、柱に支えられた宮殿が見えてきます。
今まで見る中庭ではものすごく質素なイメージがありますが。
文様も壁の色と同様淡い色をしており際立ってないんですよね。
さっそくチケットを買って二階部分にある宮内部に入りました。
ちなみに写真撮影禁止だったので、文章のみです。
まず見えてくるのがフットサル場ぐらいある広間でした。
壁は質素で暗いイメージがあります。
天井が木造で装飾もあまりなく、特に壁なんかはコンクリ色をしていて、唯一人の身長ぐらいの部分だけあたかも装飾があるようなだまし絵が描かれているぐらいでしたから。
調度品というものも少なく、ソファやテーブルぐらいしか置いてないんですよね。
その隣には政務室があり、当時の仕事の様子が見て取れます。
部屋には絵画のような絨毯が壁に掲げられていて、その他肖像画もいろいろ存在するのですよ。
さらに政務室の逆の部屋には音楽室があり。
一見すると本棚があり、音楽室に見えないのですがピアノがしっかりと置かれています。
中央にあるテーブルには周辺の地図が描かれていて、当時のここを支配していたピッコローミニ家の姿がわかるようです。
本棚の横には本棚に似せた隠し扉が存在し、その中には本棚とソファーが。
一人になりたいときにここに籠ったのでしょうかね。
そして回廊に出るとそこはいろんな肖像画がある場所でした。
何より回廊は壁はだまし絵が描かれているのですが、扉にも同様の絵が描かれていて。
あたかもそこに扉が存在しないようになっているのです。
しかも回廊にはしっかり見ないとわからないように幾つもの扉が存在します。
隠し扉にしては結構あるのでなぜこのような場所を作ったかは不明ですが。
さてその先にはバスケットコートぐらいの巨大な部屋で武器を展示した部屋が存在します。
当時の武器がいろいろ展示されていて、馬につけていた装備や人間が使用した武器があります。
槍と鎌をくっつけたものやフェンシングのような突きの剣など様々な武器が存在するのです。
そしてその先に進むとそこはオルチア渓谷を望むバルコニーが見えてきます。
下には宮の庭園があり、その先には一面農業地が存在するのです。
それは人が作り出した景観。
不思議な美しい景観がそこには残されています。
実はこれ先ほども言いましたが、自分がいる場所も世界遺産、その先の景観も別の世界遺産という特殊な場所なのです。
まさか同じ場所が世界遺産になるとは、しかも別の登録理由でなるとはだれもが思いませんよね。
ここだけは写真が撮れましたのでその風景を堪能してくださいね。
そして再び武器の展示してある部屋に戻り、さらに進むとそこにはたくさんの本が置いてある場所へ。
ここは図書室です。
といってもたくさんの本が置いてあるわけではなく、ピッコローミニ家で必要だった書籍が残されているのですが。
ほとんどが辞典のような巨大な書籍なために、まあ時点だったのではないかと思いますが。
すべてフランス語の本で私には何が書いてあるかさっぱりわかりませんがね。
ただすべての印象が質素という印象を持ってしまいます
装飾は最低限しかなく、部屋も薄暗い。
あまり権力がなかった家だったのかも知れませんね。
そしてツアーが終了して、庭園に出てみました。
庭園はそれほど大きいわけではないのですが、そこから見る景色が絶景ですね。
何しろそれもイタリアの芸術家を唸らせた風景なのですから。
ほんとに丘陵のすべてが開墾された場所は美しい場所に変化するものです。
こうしてピッコローミニ宮の観光が終了し、そのまま隣の大聖堂へ。
あまり巨大ではないですが、町の規模としてはかなり大きく。
内部は装飾もシンプルですが。
一番奥に細部まで彫刻された木の椅子が並んでいます。
特に聖書を置くための木の台が素晴らしいほどの美しさで。
木の彫刻でよくここまできれいに装飾ができるのかと感心してしまうほどでした。
そして大聖堂の裏手にある道を歩くと開けた風景が待っています。
渓谷の中に残る農業地
先ほども言ったように、2つの世界遺産を眺められる場所。
手前のピエンツァ、奥のオルチア。
まさにイタリアの中でも一番の風景がここに残っていますよ。
大聖堂の裏手の通りは街の端まで続いているので、ゆっくり歩いてこの景色を堪能するのがベストです。
そして町の端が来ると、、ってこの町すごくせまいのですね。
もう少し大きいのを予想していましたが。
歩いて10分もしないうちに端から端へ歩き終わるのです。
だからこそこじんまりしている街で建物があふれていて、今までとは違った風景がここにはあるのかも知れませんが。
こうして観光が終了して、というかもう一つの世界遺産を見るべく、隣の街に向かって歩くことにしました。
何より周りも世界遺産なので。
この世界遺産の説明は明日します。
そして少し歩くと開けた渓谷の中へと歩き始めました。
当たりは家がまばらにしかない農耕地に差し掛かり。
ほとんどが牧草地で小麦色に染まる丘陵へと姿を変えていきます。
すでに季節は夏なので牧草は刈り入れが終了しており、集めた牧草を丸くまとめてありました。
日本では見たことのない形なのでびっくり。
円柱を輪切りにした状態になっているので、どのようにあの形にしているか不思議なぐらいですが。
そんな風景の先には丘が乱立する丘陵の姿が存在し。
遠くには緑と山吹色の台地が広がっているのです。
なんででしょうか、このような風景を見ると心が和むのですが。
今までこのような風景を見たことがなかったために、なぜ心ひかれるのか定かではないですが。
ずっとこの風景を見ていてもいいと思えるぐらいなのです。
イタリアの芸術家が愛した場所
確かにこの風景を眺めているとその気持ちがわかってくるようです。
イタリアの芸術の中心でもあった場所がトスカーナにあったとは。
この風景は見て損はない場所です。
ただ言葉には言い表せないほどの風景ですから。
ぜひ写真で見てくださいね。
実はここで観光は終了なんです。
何よりバスの時間がびっくりするほど都合が悪い。
14時半のバスを逃すと18時で、もうかなりの夕方になってしまい。
なぜかピエンツァ方面のバスはシエナから行きは午後の便が多く、帰りは午前の便が多いという矛盾した交通網ですから。
逆だったらすごく観光がしやすいのに。
ということで、途中にあるバス停でバスに乗りました。
こうしてシエナまでもどってきたわけですが、宿までのバスがすごく都合が悪くて。
目の前にある建物に入るなんとスーパーがあったのでそこで買い出ししていました。
昨日牛乳を飲んで体調というか胃が痛くなくなったので。
牛乳を多く買い込んで。
ようやく宿に戻ってきましたよ。
宿に戻ってからはすぐに写真の整理をして。
時間になったので夕食を買い出しました。
夕食はピザですけどね。
内容物は小麦とトマトとチーズというメニューですけど、、まあさっきのスーパーでシーチキンを買っておいたので。
栄養を考えていますから。
海鮮を食べることは旅をしている限りあまりありませんから。
こうしてあとはひたすら日記を書いていました。
でも蚊の被害にあってすごくいらついていましたけどね。
あと暑いです。
正確には外は涼しいのですが部屋が暑い。
窓あけると蚊の被害にあうので開けられないのですよ
さて明日は本日見た世界遺産の別の場所を見に行くとしますか。
ピエンツァへのアクセス
シエナの鉄道駅から10時50分発ピエンツァ行きのバスがある。112番のバス
所要1時間
帰りは14時、14時半、18時がある。
切符はあらかじめ駅構内で往復分買っておくとよい
ただし日曜日は一便もなくなる。