2009.07.24

 アート&デザイン

印象派の原風景の舞台を訪ねて

印象派の原風景の舞台を訪ねて 先日は、「光の画家」と呼ばれた印象派画家クロード・モネ(1840年〜1926年)が、水面に浮かぶ大輪の睡蓮、水草、岸辺の柳の木、池に架かる日本風の橋など、連作「睡蓮」の原風景となったジヴェルニーをご案内しました。今回はジヴェルニーをさらに北上し、ノルマンディー地方の絵画の舞台をご案内します。



パリをゆったりと流れるセーヌ川河口の左岸に位置する、ノルマンディー地方の海辺の町オンフール。その小さな町の旧港の風景は数々の印象派の絵画の題材ともなり、フランスの風景画家でもあるウジェーヌ・ブーダン(1824年〜1898年)や、作曲家のエリック・サティー(1866年〜1925年)の生地でもあります。旧港を取り囲むように、レストランやアートギャラリーが軒を連ね、世界各国からの観光客で1年中賑わいを見せ、当時と今も変わらない港の風景は常に作家の審美眼的な感性をくすぐるのでしょう。1年中イーゼルを立てた沢山のアーティスト達の創作風景に出会う港町でもあります。

オンフールの船乗りの息子として生まれたブーダンは、モネに屋外で絵を描くことを教え、印象派に大きな影響を与えました。また、サティーも作曲だけではなく、作家、画家としても幅広く活躍し、ピカソやコクトー、ラヴェル、ドビュッシーなど様々な分野の芸術家たちとの交流も深め、共感しあい、常にお互いの芸術性を高めて行く生涯を続けていたと言われています。

オンフルールから長さ2143メートル、斜張橋としては世界最長のノルマンディー橋を渡ると、セーヌ対岸の港町ル・アーヴル。5歳の時に一家でこのル・アーヴルに移り住んだモネは、少年の頃から絵を書いては、地元の文具店の店先に自分の描いた人物の戯画などを置いてもらっていたそうです。そうした活動がブーダンの目にとまり、二人の偶然の出会いが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたと言われています。フランス第2位の商業・貿易港ル・アーブルも当時のエピソードを振り返ってみると。実は印象派のルーツでもあったのです。

ル・アーブルからドーバー海峡を沿い約30キロ先に、モネやギュスターヴ・クールベ、ウジェーヌ・ドラクロワがその海岸の美しさに魅せられて描いたエメラルド色のエトルタ海岸があります。作家モーパッサンが幼年期を好んで滞在したことでも知られていて、石を土台にした木骨造りのノルマンディー地方独特のレンガの家々が美しい街並を今も残している所です。エトルタ海岸は干潮時には高さが約100mにもなる白亜の断崖「アモンの断崖(Falaise d’Amont)」と「アヴァルの断崖(Falaise d’Aval)」が有名な海辺の街で、シルエットの美しい絶壁を持つ2つの断崖が今でも数々の芸術作品の舞台となる理由が良くわかります。



この海辺の小さな街にもいくつかのエピソードが残っています。モーリス・ルブラン作の怪盗ルパン・シリーズの「奇巌城」の舞台もこのエトルタです。ルブランは古都ルーアンで生まれ、1918年にエトルタに別荘を購入し夏のバカンスを過ごしたそうです。街の中には「ルパンの館(Le Clos Lupin)」という資料館があり、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」をルパンが盗んだ小説の世界もこの資料館で紹介されています。

もう1つのエピソ−ドは、1927 年に世界初の大西洋単独横断飛行に成功したリンドバーグよりも約2週間前にナンジェセールとコリーという2人の飛行士がニューヨークを目指してパリ郊外のブルジュ飛行場を飛び立ち、消息を断つ直前に目撃されたのもこのエトルタ。アモンの断崖の頂上にはリンドバーグに先駆けて世界初の大西洋横断に挑んだ2人の飛行士を記念する博物館「ナンジェセール・コリー博物館(Musee Nungesser et Coli)」が上に建っています。

エピソードを振り返りながら、名画に描かれている小さな街や村の風景の背景には、その当時の出来事や人との出会いも一筆一筆に生き生きと表現されていると言えるでしょう。「印象主義」(Impressionnisme)という言葉の奥深さは、芸術を創作する側と芸術を見る側との間に歴史を超えた対話の機会を与えれくれることを実感させてくれます。