2009.08.24

 バカンス・旅行

印象派の原風景 モネ「睡蓮」の舞台を訪ねて



ルーヴル美術館の正面に広がるチュイルリー公園の一角にあるオランジュリー美術館は印象派の巨匠クロード・モネの大作「睡蓮」(Les Nympheas)が展示されていることで有名な美術館です。

オランジュリーとは1852年に当時の君主ナポレオン3世が、チュイルリー宮殿の敷地内に建設したオレンジを栽培するための温室でしたが、宮殿に焼失よってこの建物は展覧会場、戦時中は武器の倉庫として使用され、モネの「睡蓮」の連作が一般公開される様になったのは1927年になってからのことでした。その後、画商ポール・ギョームとジャン・ヴァルターのプライベート・コレクションが寄贈され、現在はルノアール、セザンヌ、ピカソ、ルソー、モディリアーニ、マティス、ローランサン、ユトリロなどの近代絵画のすばらしい作品が展示されています。午後からはじまる個人見学の長い列に待つこと約30分、ようやく「睡蓮」と再会することができました。

 「睡蓮」の連作はリニューアル前と同じく2つの展示室にわかれて展示されていて、自然光の入るガラス天井からは、直射日光が作品に直接あたることもなく、自然の光の中で作品を鑑賞できるように、モネ自身が展示に関わる当時の希望をそのまま反映した空間設計になっています。



 1918年、当時の宰相クレマンソーを通じて、モネが自分の作品を国に寄贈する約束をした際には、自然光の入る楕円形の展示室の壁面に作品を展示し、他の作品は展示しないこと。鑑賞する人と作品との間には仕切りやガラスなどを設置しないことなど、モネ自身によって厳しい条件がつけられたそうです。

 モネはこの大作の制作中1923年に白内障の手術を受けており、作品の出来に満足感を感じていなかったモネは、一時は国への寄贈を取りやめようとしたそうですが、友人でもあった宰相クレマンソーの強い要望で、白内障の手術後から1927年の死の直前までも丹念な筆作業に力を注ぎ続け、「自分の死後に作品を展示する」という遺言を残して、この世を去ったと言われています。

パリ市内にはオランジュリー美術館からセーヌ河の丁度対岸にあるオルセー美術館と、16区のマルモッタン美術館にもモネの作品が展示されていますが、ノルマンディーの小さな村「ジヴェルニー」(Giverny)には「睡蓮」の舞台となった庭園とモネの住居兼アトリエが残っています。

 パリのサン・ラザール駅からルーアン、ル・アーヴル行きの列車でヴェルノン駅(Vernon)を下車。ここから路線バスまたはタクシーで約15分、セーヌ河沿いにあるこの小さな村にモネは1883年から移り住み、1926年(86歳)にこの家の寝室で息をひきとるまで半生を過ごしました。家の前に広がるなだらかな丘のように造られた庭を下から見上げると、色彩豊かなパレットのようにも見えてきます。





 モネはジヴェルニーに移り住んでから数年後にこの土地を買取り、セーヌ河の支流エプト川から水を引き、オランジェリー美術館に展示されている作品の中に描かれている睡蓮の花が咲く大きな池と日本式庭園を造ります。

 「光の画家」とも呼ばれたモネが水面に浮かぶ大輪の睡蓮、水草、岸辺の柳の木、池に架かる日本風の橋など、四季折々日々の生活の中で自分の目で感じたそのものが作品に反映されていることが一目でわかるでしょう。朝日を浴びた睡蓮は刻々と時のリズムにのせて大輪の睡蓮に姿を変え、自然の光に輝く池が百花繚乱の華やかな花壇の様に変化して行く様子を見ていると、モネと同じ目線に立って、キャンバスの構図が見えてくるような気がしてきます。



 パリには名画を鑑賞できる美術館がたくさんありますが、芸術家の生涯を振り返りながら、絵画作品の舞台を訪ねてみてはいかがでしょう。

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