2009.08.24

 バカンス・旅行

歴史と自然と芸術の調和を求めた景観回復を待ちわびる モン・サン・ミッシェル



フランスのブルターニュ地方、サン・マロ(St-Malo)湾の小島にそびえ立つ「モン・サン・ミシェル修道院(Le Mont-St-Michel)」。世界的に有名な聖地となったこの修道院の歴史は8世紀初めのある伝説から始まります。




メロヴィング朝のフランク王国時代、モン・トンブ(Mont-Tombe墓の山)と呼ばれていたこの小島は先住民のケルト人の聖地とされ ていました。708年島からほど近いアヴランシュ(Avranches)のオベール司教(Aubert)が、夢の中に出てきた大天使ミカエルの「あの岩山 に聖堂を建てよ」とのお告げの通りこの島に小さな聖堂を建てたところ、それまで陸続きだった島が奇跡のごとく一夜にして海に囲まれる孤島になったと言われ ています。同年10月16日モン・サン・ミッシェルは聖地として歴史の始まりを告げたのです。



し かし、9世紀頃のフランスは内紛が続き、ノルマン族のバイキングの略奪行為の中、修道僧たちは強い信仰心で聖堂を守り続けました。そしてノルマンディー公 リシャール1世の命により、966年にベネディクト会修道院が設置されると、モン・サン・ミッシェルの大造営が始まり、小さな聖堂は修道院として上へ上へ と壮大な建築物へ姿を変えて行ったのです。





1203 年に起きた火災によって、修道院の一部が消失するという大きな災害を受けながも、大天使ミカエルへの人々の崇拝は高まり、多くの巡礼者たちがヨーロッパ中 から集まってきました。崩壊したロマネスク様式の修道院は「ラ・メルヴェイユ(驚異)」と呼ばれるゴシック様式で再建され、その最上階にある湾を一望する 回廊は修道僧たちの祈りと瞑想の空間となっていました。



14 世紀にはイギリスとの百年戦争へ突入。修道院は閉鎖され城塞として利用されることになります。しかし、干満の差と潮流の激しさによって戦争による大きな被 害を受けることもなく、戦争終結後はフランス国内を中心にヨーロッパ中から聖地モン・サン・ミッシェルへ再び多くの巡礼者が集まってきました。

ヨー ロッパ最大の干満差が観測され、かつては満潮になると島への道が消え、潮流の激しさで一気に押し寄せる大波にのまれて命を落とす巡礼者も数多く、ここを巡 礼する人々は遺書を書いてから出発したと言われています。現在も島の入口には干潮と満潮の掲示板が設置され、専門のガイドによる湾内の歩行ツアーなどがあ ります。





フ ランス革命後、修道院は司祭や反体制派の牢獄として使用されましたが、牢獄としての役目を終えると、ロマン派小説家たちによる中世芸術の復興活動によって 憧れの巡礼地としての人気を取り戻します。1874年から修復工事が開始され1879年には陸から堤防道路が完成し、島にも直接渡れるようになり、観光客 も気軽に訪れることが可能になりました。観光地としての繁栄とともに、1979年にはユネスコ世界遺産に登録され、その美しい景観と歴史的建造物は現在も 多くの人々を魅了し続け、年間300万人もの観光客を集めるフランスが世界に誇る人気の観光地となっています。



2008 年8月国土整備担当大臣による「モンサンミッシェルの海洋特性復興計画」の視察が実施され、2006 年フランス政府の国家的な事業として大規模なモン・サン・ミシェル景観回復計画が着手されました。2012年の完成を目指して、島としての美しい景観を取 り戻そうと環境整備工事が進められています。

島と陸地を結ぶ堤防道路が自然の潮流をせき止め、島周辺に砂が堆積し湾内の急激に陸地化が原 因で、島が孤島となる光景は滅多に見れなくなってしまいました。美しい湾の中にそびえ立つ修道院の輝き、美食の文化をささえる、湾内と周辺域における名産 のカキやエビ、農場の伝統的な人間の生産活動に影響を与える事なく、文化遺産、自然環境、生態系、経済と観光を共存させる最も良い解決策として、モン・サ ン・ミッシェルとその周辺の景観修復プロジェクトは進んでいます。