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 【芸能・アート

Maestro Seni~バリ芸術のマエストロ Vol.8〜
2008.11.30
 
 align="left"alt=""title=""style="width: 152px; height: 209px;"A legendary prima donna
伝説のプリマドンナ
ジェロ・ガドゥン・アルワティ
1934年バリ島中西部のタバナン県に生まれる。9才からバリ舞踊を始める。タバナンはクランビタン宮殿のアナック・アグン・マデ・パセック、バドゥン県北部クタ・クロボカンのニョマン・リデットに師事し、男性が踊る戦士の舞踊バリスを学ぶ。
「家は代々舞踊家の家系で、踊りやガムランは私にとって身近だったの」
 バリスを修得した後イダ・バグース・ベダに師事、誇り高く力強い若い王を主題にした男装の舞踊ウィラナタで一世を風靡する。



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左:ウィラナタを踊るイブ・ジェロ。王者の凛々しくさがその表情にも。
右:イブ・ジェロのバリ芸術祭参加を伝える90年代初頭の新聞記事。


 1950年、当時のインドネシア大統領スカルノに招かれ、ジャカルタの大統領官邸やバリ・タンパクシリンの大統領別邸で国内外の賓客を前にその優美で気品に満ちたウィラナタを披露し称賛を浴びる。
「その頃だったかしら。アメリカ公園を控えたプリアタン歌舞団から私が所属していたタバナンの歌舞団に公演参加のお誘いをいただいたことがあったのよ。当時はウィラナタの踊り手がいなかったのね。結局は所属していた歌舞団が断ってしまったので参加には至らなかったけれど」

 その後も大統領官邸の舞踊家として、国賓歓迎行事や式典のほか、バリを代表する舞踊家たちと共にパキスタン、シカゴ、ロシア、シンガポールなどを巡る国際親善公演に参加するなどの活躍を続けた。帰国後の56年、タバナン王家プリ・アノム宮殿のイ・グスティ・ングラ・マユン・マユラ氏と結婚、子育てに専念する日々を過ごす。「当時は今と違って結婚したら家に入るのが当たり前、踊りを続けるどころか一人で宮殿の外へ出ることもできませんでしたよ」

 子育ての手も離れた74年、国立芸術大学デンパサール校(現ISI)舞踊科の特別講師に就任し、舞踊の世界へ復帰。83年からは作家で文化哲学者のスルタン・タクディール・アリシャバナが主催するバライ・スニ・トヤブンカに参加、後進の指導と文学とのコラボレーション的な舞踊活動を展開。活動を通じて伝説のウィラナタはもちろん同じく男装の古典舞踊マルガパティからトゥラン・ブラン・ディ・グヌン・バトゥール(バトゥール山の明月)、タリ・チャプン(蜻蛉)などの創作舞踊まで、幅広い分野の演目を次世代の舞踊家たちへ伝授し続けた。その業績を讃え1993年に当時のバリ州知事イダ・バグース・オカ氏から贈られたダルマ・クスマ勲章をはじめ、数多くの芸術貢献賞を受賞している。御年74才の現在も年に数回、共に国を代表して海外を巡ったバリ舞踊の巨匠たちと共に舞台に立っている。

 「教えていて思ったこと?そうねえ、ひとつのことをきちんと成し遂げてから次に進むこと、基礎をしっかり身につけることが大切ですよ、ということかしらね」イブ・ジェロは、ウィラナタの見得のポースのようにすっと腕を上へ延ばし、穏やかに微笑んでそう付け足した。