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 【芸能・アート

Maestro Seni~バリ芸術のマエストロ Vol.7〜
2008.12.03
 
 align="left"alt=""title=""style="width: 129px; height: 211px;""Guru" of Ancient Sacred Chant
神への歌声・古典歌唱の名人
アジ・エジョック
○ 本名:イ・グスティ・プトゥ・ダルン
1935年ジュンブラナ県ムンドヨ村に生まれる。祭礼や儀式の際に歌われる古典歌謡の高名な歌い手であった祖父の影響で6才から歌謡を始める。古典歌謡は16世紀ごろにジャワからバリに伝わった独特の節回しを持つ歌で、ヒンドゥーの歴史やラーマヤーナ、マハーバラタ、タントリ物語などの古典物語が題材。神や祖霊に対する祭礼で歌われるスカール・アグン、スカール・マドャ、結婚式などバリ人の通過儀礼の際などに歌われるスカール・アリットに分けられ、それぞれクカウィン、キドゥン、ググリタンと呼ばれる。

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左:バリ島の小中学校の一部では伝統授業の一環で古典歌唱を学ぶ。
右:祭礼に出会ったら古典歌唱の歌声に耳を傾けてみてははいかがだろうか。

「オランダや日本の統治下でひとり息子だったから親が心配して学校へ行かせてもらえなくてね、だから家でずっと祖父に歌を習っていたんだよ。最初はシンプルな節回しのググリタンから習い始めた。スカール・アグンの “ラーマヤーナ”や “アルジュナウィワハ(アルジュナの結婚)”、“ブラタユダ(コラワとパンダワの戦争)”はカウィ語(ジャワの古語)だしいきなりじゃ難しいからね。練習は口伝で、祖父が一節歌ったらそれを真似て歌うんだ。そうやっていろいろな歌を覚えていったのさ」

 農家の仕事をしながら周辺の祭礼や儀礼で歌っていたアジ・エジョックの名を高めたのは60年代のラジオの普及だった。当時はまだ生放送が中心、急にラジオ局の人が家に迎えに来て「今すぐ局に来て歌ってください」ということも多々あったとか。70年代には、バリ島のインディーズレーベルがバリ島各地の名人の歌声を録音したカセットを発売するようになり、アジ・エジョックも数多くの録音に参加した。そのころから乞われて後進の指導に当たり始める。個人の趣味から村の有志団体、バリ州の大会に参加する小中学校の指導と現在も多忙な毎日だ。

「昔は家や村の集会場で教えたものだが、今は皆忙しいからインターコム(有線放送)を通じて教えることが多い。今教えているのは60人くらいかな。ジュンブラナの芸能は他の地域に比べるとジェゴグやガムランも音や旋律が “強い”。歌も同じで地域ごとに同じ歌でも歌い方にそれぞれ特色があるんだ。優れた歌い手を育てることはもちろんだが、先祖から受け継がれて来た貴重な文化を次世代へ残すことを大切に考えているよ」

「上達のコツ?そんな近道はないさ。形から入らないで基本をしっかり身につけること、でないと逆に遠回りになる。外国人を教えたことはないが喜んで教えるよ、私はバリ語しかできないけどね(笑)。学ぶ気持ちがあれば必ず出来るようになる、必ず出来ると自分を信じることが大切なんだよ」