Yさんが「行きましょう」と言う。どこへ行くのか?知り合いの所だと言う。途中で携帯で電話している。「獅峰龍井」の知り合いに電話したけど、あっさり茶はない、と言われたらしい。それはある意味で本当に知り合いだろう。もし客であったら、「ある」と答えて適当な物を売っているかもしれない。因みに獅峰龍井はあっても1斤、5000元は越えるとのこと。基本的に前年に予約で埋まるらしい。中国は本当に資金がダブついている。これも一種の投資だろうか。
我々が向かった先は梅家烏鎮。ここの龍井茶は龍井全体で中の上程度の産地と認識されている。車が鎮内に入ると、それまでの農道とは異なり、立派な3階建ての建物が並ぶ。ここはどこなんだ!
Yさんは一軒の家へ入っていく。ここも3階建て、前庭があり、大きな木もある。中から女性が出て来て、しきりに愛想よく庭のテーブルへ座らされる。直ぐにグラスに入った梅家烏龍井の新茶が振舞われる。グラスを手にすると鮮やかな茶葉が中で踊り、仄かな香りが鼻を衝く。爽やかな風が吹き抜け、庭が楽園と化した。
ひとしきりお茶を堪能。何杯でも飲める。茶農家の奥さん、徐さんはよくしゃべる人で、今年の茶の出来から、子供の学校のことまで話しては、奥に引っ込み、仕事して、また出て来ては話す。Yさんとは子供同士が同級生と聞いて納得したが、何となく引っ掛かる。
徐さんが中から次々に食事を運び出した。そういえばさっきここのおじいちゃんが、生きた魚を生簀に入れていた。その内の一匹が早速登場した。他の農家が取ってきたものを買っていると言う。ふーん。野菜も新鮮で、鳥も美味しい。屋外で風に吹かれながら、美味しい空気を吸う。満足。
食後鎮を散歩した。今はお茶の季節でどこの農家も忙しいはずなのに、中には庭で新聞を読んでいる男性がいたりする。隣のおじさんは、茶葉を篩にかけていたが、何となく長閑。全体的に切迫感はなく、別荘地帯で庭いじりをしている老人たちを想起させる。これはなんだろうか。
おばあちゃんが茶摘みに出ると言うので同行する。と言っても庭のすぐ裏に茶畑がある。摘んでいるのは殆どが出稼ぎのおばさん。おばあちゃんはお手伝いさんに手を引かれて摘んでいる。何でやっているのか聞くと「健康のため」との答え。これはこの辺のお茶農は地主、出稼ぎ者は小作という、以前の仕組みそのままのような気がする。
帰りに徐さんに「私がこの家を買いたいと言ったら、いくらで売ってくれる」と聞いてみた。「絶対に売らない」と答えながら「例え2000万元でもね」と。え、2000万元とは日本円で2億5千万円??この地はそれ程の価値があるということか。茶の値段はどんどん上がり、農家としてのメリットは取り、空気はいい。
中国の農村は貧しい、殆どの日本人はそんなイメージしか持っていないが、実際には中国と言っても広い。立派な家、全て揃っている家具、恵まれた自然と労働環境、後は教育・医療などか、などと思っていると、実はそれも徐さん達は既に手に入れていた。