西大門監獄
仁川から電車で来た道を戻る。ホテルへ戻ろうかとも思ったが、そのまま電車に乗り、3号線に乗り換えて、仁寺洞へ行ってみる。韓国の古本屋は仁寺洞にあるはずだったが、今はもう殆どない。韓国の茶の歴史を知るすべを求めたが、ただの観光地だった。昨日も行ったお茶屋さんを訪ねるも、平安さんは不在。
Kさんから一度は見ておくのが良い、と言われた西大門監獄を思い出し、また地下鉄に乗る。独立門という駅で降り、地上に上がると、独立門があったが、改修中でよくは見えなかった。1897年に独立の意思を示すために作られた門。パリの凱旋門をモデルにしているとか。手前には清の施設を迎え入れるための迎恩門の柱が残っており、意志が感じられる。
そしてその公園内を歩いていくと、高い塀が見えてくる。西大門監獄は1908年から80年にわたって監獄として使用され、日本時代は独立運動家を収監し、拷問などを加えたと言われる場所。独立後も独裁政権が民主活動家を弾圧したという。現在は一般公開され、負の歴史が語られている。
正面の古い建物を中心に展示がされており、順路に沿って見ていく。ここで亡くなった人々の写真が壁一面に張られていた。監獄の様子も見ることが出来るが、激しい拷問などが行われたであろうその場に立つとたじろいでしまう。赤子を連れた女性がおむつを替えたり、乳をやるのに苦労している話、単に勇敢な愛国主義者、という面だけでなく、人間、という側面を展示していることに打たれる。
敷地の隅には処刑場がある。その前には一本の高い木が立っている。『慟哭のポプラ』とも呼ばれる。刑の執行前にその木に縋り付いて嘆く、その場面を想像すると、なんとも言えない気分になる。日本と韓国の歴史を考え、これからを考えていく上でも、この監獄はやはり一度訪ねてみる価値があると思う。
新世界百貨とロッテ免税店
帰りに新世界百貨店に寄る。実は仁川の空港で貰ったパンフレットの中に新世界百貨店に行くとスタバのコーヒー無料という券が付いているのを見つけたのだ。しかもそれは中国語の案内だった。ちょっと覗いてみようと思う。
4号線の駅を出て少し行くとその建物はあった。かなり新しいと思ったら2005年に建てられた新館だった。その隣には1930年に三越のソウル支店として建てられた歴史的建造物が未だに現役で使われている。こちらはいかにも三越、という雰囲気の建物だ。高級品ばかり売っている。新館の10階に行くとスタバがあった。券を出すと本当に無料でコーヒーをくれた。これは何となく嬉しい。
午後の高級デパートはお金のありそうな奥さん連中がおしゃべりに花を咲かせていた。日本と何ら変わらない風景。免税コーナーもあり、ちょっと探してみたが中国人の団体観光客がいる気配はなかった。スタバ作戦も不発か。中国人はどこにいるのだろうか。興味が湧いてきて歩き出す。
実に懐かしい、重厚な建物が見えてきた。旧朝鮮銀行本店、1912年に東京駅などを設計した辰野金吾により設計された。現在は韓国銀行貨幣金融博物館として使われているようだったが、既に時間が遅く閉館していた。
更に行くとロッテデパートがあった。そこの前には観光バスが停まり、中国人がたむろしていた。中に入り、エレベーターに乗ろうとすると中国人で大盛況。ようやく乗って9階の免税フロアーで降りようとしたが、何とお客がフロアーに溢れ、かき分けなければエレベーターから降りられない始末。これには参った、というか呆れた。
昔は日本からの観光客が多かったこのフロアー。今や完全に中国の天下。化粧品コーナーに群がる女性達、高級腕時計を真剣に眺める男性達、熱気がある。売り子も中国語で話かけて来る。日本人だというと『日本のお客さんはここで腕時計なんか買わない』と。そりゃそうだ、1つ100万円もする時計をソウルで買う人はあまり聞いたことがない。
上の階には韓国のりやキムチのコーナーがある。ここへ行くと突然売り子が日本語になるからおかしい。日本人は本当にお金を落とさなくなっている。帰りもエレベーターに乗るのに一苦労。こういう光景を見ると『中国人富裕層の購買力』などと報道されるのだろうが、富裕層なのだろうか、こんなに押し合いへし合いして。庶民としか思えない。
ついでに南大門まで歩いて行く。ここも懐かしいが、今はきれいに整備されており、面白味には欠けた。マツタケを売る店が多い。ここにも中国人はそこそこいた。近くの両替所も漢字が目立つ。両替してみるとレートも明洞より良かった。