台湾無国籍パスポートを持つ韓国華人
安先生とは途中で分かれ、またカヤホテルへ戻る。今晩は香港人トミーの紹介で韓国華人に会うことになっていた。地下鉄新村駅で夜8時に待ち合わせたが、お互いが分からなかった。彼女、シュウシュウは思ったよりずっと若かった。彼女はきっと私がもっと若いと思ってやってきたのだろう。
近くのサムゲタン屋に入る。サムゲタンも90年代、よく食べた。日本人は合うのだ。シュウシュウは祖先が山東から来たが両親共に韓国生まれ。ある意味で完全な韓国人だ。だが話していると何と彼女は『無国籍』だという。高校まではソウルの華人学校に通うが、華人のための大学はなく、彼女は台湾へ留学した。ソウルの華人は台湾へ留学するか、韓国の大学へ行くか、その時点で選択を迫られる。同時に韓国の大学へ行けば、自ずと韓国籍を取る方向になり、その取得は容易らしい。
彼女はその道を選んでいない。先祖が国民党系なのだろうが、だからと言って台湾がパスポートをくれるわけではない。無国籍パスポート、という証明は出してくれるが、台湾ビザは取らないと滞在できない。何とも不思議な境遇だ。日本でも在日韓国人などで同じ問題が起こっているのかもしれない。
現在彼女は香港人であるトミーなどと仕事をする上で中国語を使っている。韓国人の友達とは韓国語を話している。家はヨンヒドンというソウルの華人街にあるらしい。ソウルにはチャイナタウンはないと聞いていたのだが、どうやらあるらしい。地下鉄などは通っていないので、バスで行くしかないと言われる。彼女はやはり韓国人とは少し違う。非常にソフトな女性で好感が持てる。初めて会った気がしないタイプ。若い上海人の雰囲気がある。
8月30日(金)
1909年に設立された華僑学校
翌朝は再度明洞へ。昨晩シュウシュウから聞いた華人協会を訪ねるためだ。明洞には観光案内人がいる。彼らは日本語、中国語、英語を使い分け、観光客の道案内をしている。これは素晴らしい。地図も3か国の物を持ち、人によって的確な言語を配る。ボランティアかと思っていたが、市に雇用されているという。変な勧誘は姿を消し、明るい明洞になっている。
明洞の端に目指す華人協会はあったが、中には人はいなかった。ここで韓国華僑の歴史と現状を聞きたいと考えたのだが、残念ながら次回となった。入口付近にいた若者はちゃんと中国語を話したので、実はソウルにも相当数の華人が存在していることは確認した。
協会のすぐ近くに華人小学校があった。1909年創立と言う由緒正しい学校。1909年と言えば、韓国併合前年、この時期、ソウルでは一体何が起こっていたのだろうか。この年にできた意味があるのだろうか。校舎は古いが立派、華人が市内にも多くいることを窺わせる。ただ校内に入ることはできない。
朝ごはんを食べていなかったのでちょっと早い昼ご飯としてビビンバを華人協会並びのレストランで食べる。味噌汁がやけに美味しい。食後にはヤクルトが配られる。これも面白い。この付近は華人街ともいえる場所、漢字の看板が多い。両替所を覗くと、人民元の両替率が良い。