椅子を外に出して五木寛之の「海外版 百寺巡礼 インド2」(講談社文庫)を読む。この本は成田で偶然目の前に飛び込んできた。上巻があるとは知らず下巻のみ購入。ブッダ最後の旅を五木が辿る物語だが、何となく胸に響くものがある。このままここで風に吹かれながら、一生を過ごしてもよいのではないかという気にさせる本。
少しして部屋に入ると電気が来ていた。この尼僧院では通常電気は一日に数時間のみ配電される。基本的には朝と夜。昼間に電気があれば嬉しい。ネットもブロードバンドの機嫌が良ければつながる状態。日本では考えられない。しかし電気が無い、携帯やネットが繋がらなければ、それは仕方がないこと。日本の電力不足、節電とは何か、再度考えてしまう。
それでも悲しいかな、電気が来れば途端に俗世に引き戻される。PCの充電を開始。デジカメの電気を使ってしまおうと外に出て、真っ青な空の写真を撮っていると尼僧のソーナムが走ってきて、携帯を渡す。何と日本のSMさんが無事を確認するため電話してくれたのだ。電気が無い、この状況での電話は天からの声にも聞こえ、有難い。
7時半に鐘が鳴る。比較的小さい子達が一室に集まり、お祈りを始める。外から覗いていると中へ入れと言われ、端に座る。年かさの一人が小型マイクで祈りを捧げ、残りの子たちが付いていく。この音楽のようなメロディーは頭に残る。小さい子供は着いて行けず、そしてまた一から繰り返す。
途中で電気が切れた。ここでは電気はいつ切れるかは分からない。それでも自家発電もあり、ロウソクも付けて続けられる。計画停電などという言葉が頭をよぎったが、ここでは似つかわしくない。一人が皆にお経の書かれた大きな紙を配る。各自練習するようだ。小さい子は2人で1枚の紙を見て、相互に学んでいる。
8時半、夕飯。チベット風うどんというものだろうか。どちらかというとすいとんを思い出す。実に美味しく、2杯も食べてしまう。
ここにはアメリカ人英語教師のハーデイがいる。彼女はダラムサラにもいたようで、2年間をインドで過ごす予定とか。インドスタイルの服装をしており、非常に目立つ存在。もっと彼女に話を聞こうとしたが、その時再度停電。
部屋に戻ったが、灯りはなく、自らの荷物すら分からないほどの暗闇の中に呆然と立つ。東京ではあの地震の際でも、こんなに暗いことはなかった。歯を磨くこともできず、着替えることもできず、ただベッドを探り当てて横になる。朝の光が起こしてくれるだろう。電気が来なければ寝てしまえばよい。