8.ラダック4日目
食べることに集中せよ
朝目覚めるとまた少し頭が重い。しかし既に経験済みなので特に心配もせずに体を横たえる。7時前にお湯が運ばれて来て起き上がる。お湯を飲んでトイレに入るが、なぜかうまく出ない。何となく水分が足りていないように感じる。ここラダックは年間降水量が84mと極端な乾燥地帯である。バター茶などを頻繁飲むのも乾燥から身を守るため。東京ではリップクリームを持っていくようアドバイスされたが、普段つけ慣れないものをここで使用するのは少し怖い。
8時前に朝食。今日はチャパティとカブの煮込み。カブは葉っぱもしっかり入っており、健康食という感じがする。この食べ物、昔おばあちゃんが作ってくれた味に似ていて、驚く。ラダックは何となく日本に近い。そんなことを考えていると、当然一人の男性が腰を低くしてP師に近づいてきた。こちらが目を疑うほどに、その男性は日本のおじさんだった。しかし次の瞬間ラダック語が発せられ、間違いであることに気が付いた。おじさんは恭しくP師の横に座る。P師は彼の脈を取る。これはチベット伝承医学の手法と聞いている。そしてあとは一緒に食事をし、少し話して薬を貰って帰って行った。聞けば数年前、体が全く動かなくなる重度の障害に見舞われたが、今基本動作は正常に戻っていると言う。
ハーディと話をした。彼女は携帯も持たず、ネットも時々チェックするのみ。現代は忙し過ぎる、携帯やネットから解放されて初めて、こちらでの生活をエンジョイできると言う。全くその通りで、Social Networkと称される電子媒体が疑似世界を作りだし、人々はその中で、何かを埋めて生きている。ここラダックでは全てがリアル、である。一つ一つの生活、例えば食べるとか、寝るとか、そのような行為に集中できることがより重要であると思える。疑似的な行為はどうしても注意が散漫になる。これが心のバランスを不安定にしているような気がしてならない。
P師は朝から忙しい。皆に指示を出し、ネットを何とか繋げて、どこかへ返信している。私は彼女の時間が空くのを気長に待つ身である。するとオランダ人のスーザンなる女性が入ってきた。彼女は日本の状況を熱心に聞いてきた。弟が原子力関連の教授とかで、色々な情報が入ってきているようだ。スーザンに私の時間を譲り、退散。読書に励む。
あの新入り少女の表情が少しずつ変わっているのが見て取れる。今朝はついに彼女が笑顔で「おはよう」と言ってくれた。それでもチャイを入れたカップを持つと一番端に行き、相変わらず雪を頂く、山を眺めている。どこか私の子供の頃を思い出させて、やるせない気分になる。
昼前にネットを少し触り、ご飯へ。今日は豆煮込みをご飯にかけて食べる。これはかなりいい味だが、午後の外出に備えて控えめに食べる。スーザンとハーディは楽しそうに話している。彼らが話している方が英語らしく、聞き取りやすいのは不思議。