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2011.09.02

 旅行記(インド)

インドで呼吸し、考える(29) 脈診で分かる「考え過ぎ」

脈診で分かる「考え過ぎ」
8時前、P師より声が掛かる。LNA関連の資料とDVDを貸してもらう。そしてとうとう脈を診てもらった。P師はチベット伝承医学を納めており、この地方は勿論日本にも診てもらいたがっている人々がいる。今回特別の計らいで実現。そして気になる結果は「身体機能には異状なし。但し考え過ぎ」とのお見立て。


彼女から色々とアドバイスを貰ったが、その後本当の患者が待つクリニックへ出掛けて行った。朝食は食べたのだろうか、凄い人だ、本当に。私の朝食はちゃんと残されていた。今日は珍しく揚げパン。何もつけなくても美味しい。もしこれに砂糖が付いていれば、小学校の給食で食べたあの揚げパンそのものだ。3枚も食べてしまう。


パンを食べながら考える。「考え過ぎ」とは何だろうか。中国でも他のアジアでも「日本人は細かいことを考え過ぎ」とはよく言われた。「重箱の隅をつつく」とも言われた。北京の脚マッサージのお姐さんからも「あなたは一日中頭を働かせている。頭も休めないと使い物にならないよ」と言われたことなども思い出す。




確かに我々は「隙のない生活」を目指しているのかもしれない。そして他人を指して「どうしてあんな簡単なことに気が付かないのだろう」などと思う。日本社会の縛りの構図のような気がする。




P師の言った考え過ぎとは恐らくはもっと大きな意味だろう。「アジアのことを考え、日本のことを考え、家族のことを考え、そして自分のことも考える」それでは疲れてしまうだろう。オンとオフをはっきりさせて、休む時は休む、他人に任せる時は任せる、そんな生活を送れ、と言われたようだ。が、まだ判然としない。