9時過ぎにイギリス人高校生がやって来た。皆準備に余念がなく、胸に名前を張ったりして、緊張の中で実に嬉しそうだった。到着した高校生の荷物を嬉々として運んでいた。グループワークも楽しそうにしていた。正直色々と環境が違う彼女ら。実際はどう思っているのかちょっと関心がある。ハーディは大活躍。受け入れ側代表であり、全体のコーディネーターとして走り回る。庭には特設テントも設置され、調理の補助として何故か男子3名がやって来てテントに泊まるらしい。
交流は順調だったようで、グループワークでは仲良く作業していた。午後も歌やパフォーマンスがあり、尼僧たち、とくに幼い子達は大喜びではしゃいでいた。ただ昼ごはんの時に高校生は先に食べ始め、尼僧たちは結局場所が狭すぎると言うことで、外で食べることになってしまったのは、双方に取り残念なことであった。夜も交代で食べる。
先進国で何不自由なく育ってきたと思われる10代のイギリス人が、突然何もない環境に放り込まれる。「World Challenge Program」というイギリスベースの高校生プログラムだと言うが、イギリスは思い切ったことをする。日本なら「もし何かあったらどうするんだ」と責任論だけが先行し、学校もリスクを取らず、結局このような有意義な体験を得ることは出来ないであろう。イギリス教育の奥深さを感じる。
宿泊などの環境は体験できても、さすがに食事は共有できないとのことで、ケータリングチームが派遣された。彼らはトレッキングのガイドなのだろうか、素早いさばきで食事を作り上げる。その味は肉や魚は使っていないが、西洋人好みに出来ていて驚く。
実は私は外国人扱いで、結局食事はイギリス人と食べる。というよりも彼女らが連れてきたコックが作る料理のご相伴に預かる感じ。クリームスープはとても濃厚、ベジカレーは最高に美味しく感じられた。ようは僧院の食事は基本的に刺激、味付けが酷く抑えられていると言うことなのだ。どちらが良いと言う問題ではなく、美味しいものをたまに食べるのは幸せな気分。しかし考えてみれば、私は彼女らの施しで食事をしていることになる。恥ずかしいような気もするが、ここにいれば、それも良しを思える。
驚いたことにあの新入り少女はまだ馴染めずにはいたが、何とハーディと英語で不自由なく会話していた。そういえばさっき会計係であるソーナムと調理者とのミーティングにも首を突っ込んでいた。彼女はソーナムの親戚だと聞いているが、難しい話もある程度分かっているのだろう。ハーディの好きな食べ物はとの英語の問い掛けに、にカリフラワー、好きな動物はホッキョクグマと答えるあたり、只者ではないかもしれない。ただハーディが敢えて「昔の良い思い出は」と聞いたのに対して、明確に答えなかった。それが彼女のポイントなのだろうか。