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2011.09.30

 旅行記(インド)

インドで呼吸し、考える(51) 生きていると感じられる場所

生きていると感じられる場所



広大なラール・キラーをだらだらと見学し、外へ出た。さてこれからどうしようかと思っていると沢山のリキシャ-が近寄ってくる。面倒なので適当に歩き出す。少し歩くとジャマ-・マスジットという大きなイスラム寺院が目に入る。中に入り階段から上を見上げて写真を撮っていると、おじさんが「今日は金曜日の礼拝。午前中は入ってはいけない」と注意しに来た。




しかしこのおじさん、それから「どこから来たのか」「何日滞在するのか」「午後まで案内してやる」などとまるでガイドのように声を掛けて来る。いや、ガイドのようにではなく、ガイドなのだ。観光客目当てのこんなガイドに引っ掛かっても仕方がないと思い、振り切って外へ。


この寺院の裏手は人ごみがすごかった。そろそろ疲れて来たので、リキシャ-に乗ろうとしたが、全く動きそうもない。取り敢えず適当に歩き出す。デリーでもオールドデリーと言われるこの付近は、私の思い描いていたインドの雑踏。細い道の両脇には昔ながらの2階建て商店が並び、鋼材や木材、胡椒などを扱っている。問屋街であろうか。道にはリキシャ-や自動車から大八車までがひしめき合い、まさに全く動かない状況。インドの喧騒。


私はどこへ向かって歩いて行くのか、何をしているのか、なぜこんな所に居るのか、しばしば立ち止まって考える。しかし考えても、何も出てこない。ただ一つわかることは「生きている感じがする」ということ。東京を思い返すと「あの震災ですらが、何だか他人ごとであり、テレビドラマのように現実味がない」のである。日本の暮らしは便利であり、不自由はないが、しかし生きている実感は掴めない。震災のような大災害時にはっと目を覚ますものの、またすぐに夢の中へ埋没する。


このデリーの古い町は全てオールドファッション。しかし人々の生み出す活力、むせ返る熱、漲る汗、作り出される喧噪が、古い映画の一場面のようでいて、しかし生きている。歩き疲れ、幻想を見ているかのようでいて、しかし生きている。不思議な空間だった。


歩いていたのは15分か、20分。もう耐えられないと思った瞬間、目の前に地下鉄チャウリバザールの駅が出現した。科学技術の進歩は人を救うのか、それとも退化させるのか。