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2011.11.03

 旅行記(中国)

新疆北路を行く(16) 毛沢民

8月14日(日)  (4) ウルムチ2

毛沢民
翌日は日曜日、夕方まで自由時間となる。N先生、M先生と街の探索に出た。M先生は実は歴史フェチ。タクシーで街の南にある八路軍新疆駐在事務所記念館へ向かう。ホテルからは30分ぐらい掛かった。突然道の脇にレンガ造りの独特な建物が出現。共産党の秘密基地といった雰囲気は全くないモダンな造り。




観光客でここを訪れる中国人はいないようだ。入り口のおじさんも暇そう。「写真は撮らないように」と言って中へ引っ込む。2階建ての建物に入ると意外と展示物が多い。新疆における共産党の歴史がきらびやかに書かれているが、恐らく当時は相当に大変な状態であったはずだ。


同時にここが同盟国ソ連との最前線になっており、何と初代の所長は陳雲。陳雲と言えば改革開放後、鄧小平に対峙した経済理論をもっていた人物。その後も共産党設立メンバーの一人陳潭秋が所長を務め、1942年に逮捕、翌年新疆軍閥の盛世才によって毛沢民・林基路らとともに殺されている。


毛沢民、毛沢東と一字違いのこの人物は実弟である。元々財務金融に明るかったのか、初代国家銀行総裁、経済部長などを務めていたが、1938年に新疆に派遣され、犠牲になっている。毛沢東はこの弟のことをどう思っていたのだろうか。


今の心境の情勢と当時の情勢は全く違っていたかもしれないが、漢民族である共産党がこの地に入り込み、そして制圧していく過程は1つのドラマかもしれない。毛沢民は華やかな共産党の勝利を見ることもなく、ましてや自分が毛沢東の弟して、飾られることなど想像すらしていなかっただろう。