(2)新疆兵団
博物館に向かう。新疆兵団軍墾博物館。新疆兵団とは、日本では馴染みがないが、建国後、新疆での治安維持と開拓を進めるべく、組織された日本でいう屯田兵制度。軍の兵士が帰農し、国境などで変事があれば兵となる。この複雑な国際環境を持つ新疆で、特に建国直後は様々な問題があったであろうから、兵団の意味は大きい。同時に未開の地に、鍬を入れ、開拓した土地もかなりに達している。現在兵団の規模は相当数に達しており、兵団イコール街という図式となっている。
博物館に向かう。新疆兵団軍墾博物館。新疆兵団とは、日本では馴染みがないが、建国後、新疆での治安維持と開拓を進めるべく、組織された日本でいう屯田兵制度。軍の兵士が帰農し、国境などで変事があれば兵となる。この複雑な国際環境を持つ新疆で、特に建国直後は様々な問題があったであろうから、兵団の意味は大きい。同時に未開の地に、鍬を入れ、開拓した土地もかなりに達している。現在兵団の規模は相当数に達しており、兵団イコール街という図式となっている。
一方ウイグル族など少数民族から見えれば、共産党や兵団が有望な土地を取り上げて開拓した、と見るかもしれない。ある意味ではウイグル族にとっては自分の土地でも、漢族から見えれば未開の土地、という場所が多かったのかもしれない。
この博物館にその歴史がかなり多く展示されており、一般的な博物館より遥かに見ごたえがある。特に何度も起こった少数民族の反乱の歴史が漢民族の立場から語られている。また現在民主活動家として物議を醸しだしている艾未未とその父、詩人の艾青がこの地の労働改造所に送られていたことなども展示されている。
石河子がなぜ80年代の中国の街に見えるか、それはこの街が50年代の人工的に兵団によって作られ、そのままの状態を維持しているからであろう。ある意味では発展から取り残された革命の地、といった雰囲気である。
夏休みということもあり、多くの見学者が押し掛けてきており、入場制限がされていたほど。新疆観光の一つとして、石河子と新疆兵団は一般民衆にとっても欠かせない所らしい。と言っても石河子に宿泊することはなく、バスで通りがてらに立ち寄るだけ。
夜市に行って見た。これまたひどく懐かしい。まるで台湾の夜市と言った雰囲気もあり、娯楽が少ない当地では、相当の人出もある。薄暗い露店では、怪しげな物を売っていたり、親子連れがのんびりと夜景を眺めていたり。