夜まで休憩した。今回の目的の一つにコルカタの華人の状況を見るというテーマがある。デリーでも、プネーでも中国系を見ることは殆どなかった。インドにはチャイナタウンが無いと言われている。唯一中国系が多いのがコルカタ、と聞いていた。
ホテルの近くをウロウロしたが、中国系は見当たらないし、街中でも中国語の看板を見ることも稀である。一体どこにいるのだろうか。ようやくホテルの近くに1軒の小さな中華料理屋を発見した。先ずは入ってみる。インド人従業員が英語で話し掛けるが、無視して奥に居た中国系とみられるオジサンに北京語を使ってみた。彼はすぐに北京語で反応した。
先祖は南京から来たという。ただ南京などと言う都市はインド人にはわからないので分かり易い「香港食堂」とい名前を付けている。見れば壁には中国の暦が架けられ、商売の神様も祭られている。オジサンはコルカタ生まれ。食堂は小さい頃からやっているという。
「コルカタの華人は10年前には1万人はいたが、今では1000人だよ」と笑う。後の9000人はどこへ行ったのかと聞くと「それはお前、インドで商売するのは大変なんだよ。祖国が貧しい時には我慢していたが、この10年あれだけ発展したんだ。皆中国を目指すよ。と言っても親戚もどうなったか分からないから、直接中国へ行かないで、英連邦の誼でカナダやオーストラリアなど、中国系移民の多い所で商売替えだ」と言う。なるほど、その通りだ。やはりインドは中国人にとってはとても厳しい場所だったのだ。
10人ちょっとで満員になる1階、それに2階もあるが、使われることはないようだ。お客は旅行者が多く、インド人は限られた人しか入ってこない。「値段が高いんだ。インドの食べ物は物凄く安いから」、それもそうだ。チャーハンが50rp、と言えば、低所得にインド人には厳しい。
主人と北京語で話していると3人連れが入ってきた。日本人の若者男女。その一人が私に「ニーハオ」と笑いかける。私が日本語で応じるとかなりびっくりした表情になる。彼らは近くの安宿に泊まっており、カレーばかりのインド料理で体調を崩した仲間の為にここにやって来たらしい。
彼らは学生でもなく、社会人でもない?ように見えた。コルカタでは「マザーテレサの家でボランティア活動をしている」という。彼らの泊まる安宿に居る日本人は大抵がそうだとも言う。確かにマザーテレサの家はこの近くらしい。具体的にどんなボランティアをしているのかと聞くと「用事があれば手伝っている」との答え。そんなに仕事があるのだろうか。後日インド人に聞くと「彼らは毎日テレサの家にたむろしてお茶飲んで話しているだけ」と言われてしまった。それでも彼らには意義があり、楽しいのだろう。ボランティアとは何か、日本の若者が何故海外でボランティアするのか、興味深いテーマのように思えた。
ところでこの食堂の味だが、正直塩辛い。スープも野菜炒めも同じ。これはインド的な味付けなのだろうか。それでも久しぶりにチャーハンなどを食べると何となく嬉しい。インドから中国が駆逐されてしまうとこれも食べられなくなるということだろうか。
お茶も頼んでみたが、烏龍茶が出される。インドに居る中華系は烏龍茶など飲まないだろうが、これもお客を見たのだろうか。オジサンもお客が来ると忙しいので、早々相手はしてもらえない。インド人が一人、フランス人の女性は一人入ってきて、何やら頼んでいたので、店を出た。