そして3回ほど聞いたところで、柱の陰で信者と話をしている小柄な男性を発見した。スワミ・メダサーナンダ、その人であった。信者との話を遮って声を掛けた。ようやくここまで来たという高揚感がそうさせてしまった。スワミも何かを感じたのか、私を招き入れ、席を開けさせた。そして英語で「どこから来た」と聞く。私が事情を説明すると「どこに泊まっている」と聞くので、私がホテル名ではなく、市内中心部と答えるとスワミは今度は日本語で聞いてくる。彼は日本に十数年住んでいる。
信者がスワミの足を触っている。これは有難味を得るための動作だろうか。皆実に穏やかに、そして有難そうに話をしている。スワミが私の方を向いて「寺院内を誰かに案内させましょう」と言い、一人の男性を連れて来た。そして「また会いましょう」と言う。僅か5分の邂逅であった。殆ど何もしていないのに、実に不思議な体験だった。
案内の男性は非常に上品な英語を使い、物静かに、そして的確に案内役をこなす。聞けば近くの大学の先生らしい。スワミは1994年に日本に来る前、このミッションの学校の校長だったという。その時の生徒。それが今立派な先生になっている。
それにしてもこの総本山の敷地は広い。そして脇にそこそこ大きな川が流れている。夕暮れ時の川を眺めてみると、川風が吹き抜ける。カラスがかなり大きな声で鳴き、木々が揺れ、非常に冷厳な雰囲気を醸し出す。信者はその様子を淡々と眺め、知り合いと神妙に話し合い、益々森厳な意味が見える。
「礼拝に行きましょう」と誘われ、分からぬままに大きな堂に進む。靴を脱ぎ、中へ入ると既に大勢の信者が床に座っていた。その数には圧倒される。壮大である。その信者の中に分け入り、座り込む。床がひんやりする。
時間通りにプージャが始まる。何と皆が歌を歌う。前の方には椅子に座ったスワミ達がいるが、誰も説教などは垂れない。何と何と30分間、歌と言うか、お経と言うか、兎に角ずっと皆腹から力を絞り、何かを高らかに歌う。私も何も分からずに腹に力を入れる。何となく気持ちが良い。確かに腹から声を出すのは体に力が漲る感じがする。
そしてとうとう何の説教もなく、終了。しかし信者の多くは座ったまま、皆話し合ったり、更に祈りのポーズを取ったりしている。私は先に失礼した。周囲は真っ暗になっており、出口すらよく分からない。案内の男性が付き添い、ようやく外へ。トイレに行きたくなり、一息ついてから、車に乗り込む。もし車をチャーターしていなかったら、どうなっていただろうか。